ハグの学校では、心理劇の時間があったの。ある日、いじめっ子といじめられっ子が役割を交換して、いじめっ子は、いじめられることでそのとき初めて人の痛みを知って、号泣したの。で、おそらく、そこでいじめられることを学んだ子供は、二度といじめをしないの。でも、いじめられっこの役割は、誰かがになわなければいけない。
つまり、シャンパンとグラス。花と花瓶。誰もがシャンパンであり花であろうとするそんな関係ばかりがはりめぐられてるこの世界で、誰かが、グラスであり花瓶であるそんな役割を引き受けなくてはいけない。
ものすごく冷たい資本主義の循環に過ぎなくても、みんなが幸せであるために、役割を担う事。
恋人同士が、夫婦が、親と子が、役割を交換し合い、それぞれ学んだ後に、もっともしっくりいく役を手に入れること。
簡単に言えば、ジャングルの中で言う弱肉強食と一緒ね。ライオンばっかりじゃなくて、うさぎも必要なの。ライオンとウサギは役割を交換することはないけれど、人間ってそうやって学ばないと理解できない生き物なの。
でも、誰かがライオンを引き受け、誰かが喰われなくちゃいけない。それがサークルの輪だと思う。矛盾だってあるけれど。でも、円周率だって3.14の後に無限の小数が並んで少しも完結しないように、現実の輪も完璧にはいかない。もっと太い鉛筆を使ってコンパスで円を描けばいい。太い輪郭線で描けば、太い輪郭線で輪は完璧に見える。