▼某大学一回生さん:
個人的な意見ですが、私は基本的に某大学一回生さんと同意見ですし、そう思うのも当たり前だと思います。
現在の同性愛者が無くそうとしている差別とは、いったい何なのか疑問でなりません。目的は正しいかもしれませんが、私は方法と認識が誤っているように感じます。同性愛を認めされることは、とてつもなく大変ですし、こちらとしては痛い部分を見せるわけには行かないというのが現実だと思いますが、いまさまざまな方が仰っているのは、自分のいいように社会を変えるだけの話ではないかなぁ?と疑問に感じます。
ただ、同性愛者が何の理由もなく暴行を受けるような事態も事実ありますので、偏見を無くさなくてもいいというわけではないと思います。解決策としては、十分に存在しますし、ただ単にそれを行動で示せるかどうかという問題だと思いますが、結局は自分の欲求が勝っている状態が今なのではないでしょうか。
社会問題に関しては別だと思います。これは、個々がそれぞれに対応してどうこうなる問題ではありません。経済の状態上、技術的に劣る国が貧しくなるのは自明の理です。これに金品を与えることは、決して現状の解決策とはなりえないのではないでしょうか。必要なのは、そういった国々が先進国に勝るとも劣らない技術力と、人的資源を確保することだと思います。事実、フィンランドの教育改革など、経済的には劣っていても100年先を見れば、日本が負けると思われる国は多く存在します。そういった意味で、社会問題を解決するのに必要なのは根本的な解決法だと私は思います。
それに対して、同性愛の問題に必要なのは根本的解決法ではなく、事実を受け止めて自らを律する心ではないでしょうか。異性愛者からの目から見て、同性愛が異常に見える原因は果たして何なのかを今一度考える必要があると思いますし、ただ認めてほしい認めてほしいではなくて、なぜ認めなくてはならず、どのように対応すればよいのか、そしてどのくらいの費用・時間・労力が必要であるのかを、明確に定める必要があると思います。
基本的に、と申し上げたのは解決策の部分です。解決しなくてもいい問題では両者ともありませんし、どちらかを解決すれば、どちらかが改善される問題でもありません。ですから、必要なのはどちらも別個に解決することではないでしょうか。否定したい面が多いのはごもっともだと思いますが、解決策というのも考えていかなければならないのではないでしょうか。 JING