んー、なるほど…
まず個別の事柄について申し上げておきたいのですが、「ハッテンバ」これ性風俗ですか?風俗という業種は客に対して「高い衛生管理のもとに」サービスを提供するものです。ハッテンバを経営する側はこうした管理を行っているのでしょうか?答えは否です。彼等は性サービスではなく場所を提供しているに過ぎないのですから。そしてその利用者は、互いにそれほど衛生意識もなく、倫理もなく、ただ安易に、安価に体を求めていく。これはもはや性風俗などではないように思えてなりませんし、異性愛者、というか社会的にみても問題ではないかと考えてしまいます。
またこうした議論を重ねていくうちに多くの方が「ゲイだけに限ったことじゃなくてノンケだってやってる。なぜゲイだけが悪く言われるんだ」と考えておられるかと思います。しかしこういった意見は「ゲイに対する差別を無くしたい。ゲイを一般的なものとして認知して欲しい」といった目的から大きく外れたものに見えてなりません。貴方は大変社会的にみても高明な方でおられるようですのでおわかり頂けると思いますが、社会の現実として提言者、社会を変えたいと望む者は一般的な社会倫理より高い行動、姿勢を示さなければどんなに理路整然とした提言、意見であっても周りに理解される以前に相手にされません。主張したいのなら、その姿勢が「異性愛者と同じ(私は性愛に対する意識については同じとは思いませんが)」では現実として駄目なのですよ。であるなら彼等より高い社会的倫理観を持って性風俗を含めた問題に取り組むべきではないでしょうか?そしてその姿勢が整ってこそ、初めて私達の考え、意見がインパクトのあるものとして社会に受け止められる気がします。
最後にこうした「差別」と呼ばれる異性愛者の行動は一概にそうでもないように思えます。これは一般的なことであると考えていますが、自分とは全く違う価値観に出くわした時、人はまずびっくりします。そしてその光景を受け止め、最後にその価値観、考え方そのものに対して自身の意見を持ちます。この一連のアクションをどうも私達は考えもせず「差別」の一言で片づけてる傾向にあるのではないでしょうか?ただ驚かれただけで、「何だ文句あるのか!差別だ!」というのではあまりにも冷静かつ建設的ではありません。彼等の行動のどこが「差別」で、どこが「驚き」で、どこが「価値観の相違」なのか、そしてその相違は互いに尊重出来るものなのか。そういった所を押さえずに異性愛者をまるで敵視するかのような姿勢は、あまり私にはピンとこないのです(全てとは思いませんが)。一方的に自身の意見を自身の観点「だけ」から述べるのではなく、まず提言したい相手が何を考え、何を私達に求めているのか、それに対して私達はどういった姿勢で、どういったアプローチで臨めばよいのか、それこそが私達が考えるべき第一のことではないでしょうか。