▼TKさん:
>映画「愛の言霊」完成披露試写会の記事からの引用です。
>『仮面ライダーカブト」の徳山秀典(25)と「轟轟戦隊ボウケンジャー」の齋藤ヤスカ(20)が禁断の同性愛を演じた映画「愛の言霊」(東京・渋谷Q−AXなどで27日公開)の完成披露試写会が、東京・北の丸公園のサイエンスホールで行われた。トークショーで徳山が「女の子の気持ちになれました」と言えば、齋藤も「たっぷり愛してもらえました」とこたえ、会場の爆笑を誘った。』
>
>個人的な考えなのですが、この記事からは、現代の同性愛に対する認識がいくらか伺えるように思えます。少し私なりの考えや意見を述べてみようと思います。
> まず第一に、この記事の筆者はなぜ同性愛を「禁断の」とわざわざ修飾したのでしょうか?
> おそらく、「タブーの侵犯」といったテーマを前面に出すことで、同性愛を浮薄で陳腐なエンターテイメント化してしまう姿勢があるからでしょう。具体的には、同性愛を昨今流行しているボーイズラブ関連や近親相姦関連(例えば、「僕は妹に恋する」といった流行漫画から、義母やレズビアニズムといったものを題材にする官能小説)等といったものと等価値に位置づけていると考えられます。今、同性愛を語る側において軽薄化がますます進んでいるのではないでしょうか。同性愛と真摯に向かい合う態度、考える態度が著しく欠如しているのではないでしょうか。
> 第二に、徳山の発言「女の子の気持ちになれました」という発言には、とても同性愛者を演じた俳優の発言とは到底思えません。同性愛者のアイデンティティーを女性のアイデンティティーと同一のものと考える、同性愛者を女性に近い存在とする徳山の考えには、まさに同性愛者に対する誤認識が潜んでいます。もしかしたら、この誤認識は一般にも広く浸透しているものかもしれません。それにしても、同性愛者を演じきった俳優の発言にしては、あまりにも浅はかなものに思えませんか。
> 第三に、「会場の爆笑をさそった」という締めくくりです。まさに、これこそが同性愛差別の表れだと私は考えます。実際、同性愛者に嫌悪感を覚える人々も大勢いると思われますが、それ以上に、「笑い」の対象となっていることに問題があるのではないでしょうか。同性愛の当事者には真剣な問題であるものを、笑い飛ばしてしまうという態度には、まともに相手にもしようとしない態度があり、「差別」以上に酷悪なものに私には感じられます。
>
>同性愛を扱った映画についての記事からも、多くのマスメディアを通した同性愛への認識が伺えると思われます。これらの悪辣な報道に対抗するには、どのような方法が有効でしょうか。拙文ではありますが、よろしければ皆さんのお考えも伺いたいと存じます。冗長な文章を大変失礼致しました。
個人的な意見です。
私は、あくまで悪辣な報道だとは思いません。なぜなら、社会変化が起こるときはドラスティックに改革される場合と、徐々に浸透し、考慮され、変化し、全体として、まぁ正しい形で理解される場合の二種だと思いますが、同性愛に関する理解が、前者で行われることは、まず不可能でしょう。
では、後者ということになりますが、爆笑というものは、確かに不適切であると同時に、当事者の不快感を誘うと思います。しかしながら、徳山さんや斎藤さんが”そんな役をできる異常な人間”として認識されたわけではありません。つまり、同性愛をテーマとして考えること・遊ぶこと自体がタブーであったものから脱却しつつあるといえるのではないでしょうか。
確かに、一応私も演劇をある程度続けてきましたが、女性の気持ちになれた。というのは、誤用であると考えます。しかし、求められたいと求める側になった気持ちを端的に表現するために用いたのであれば、なかなか辛辣で面白い比喩だとは思います。おそらく、前者でしょうが、あくまでトークを盛り上げる為の発言である以上、そこまで目くじらを立てる必要もないと思います。
さて、タブーに関しては、現在のキリスト教から見れば確実にタブーです。しかも、信条上の理由であるために、倫理的に報道の仕方が間違いであっても、三大宗教の1つであるキリスト教の観点から見れば、正しいという矛盾を生みます。しかも、報道というものは自由である。という考えが定着しているので、表現の仕方を批判するには、それが誤りであると大多数が認識しない限り不可能といえると思います。
ただ、私が恐ろしいのは”近親相姦”と”同性愛”を同列におくことです。近親相姦は、非常にハイリスクであるといえます。催奇形性の可能性が高いからです。しかし、同性愛者は、確かに現在は社会的にも問題があります。モラルがなさ過ぎるからです。ですが、それ自体が同性愛の根底ではないと思います。つまり、他者危害の原則に触れるか否か、が問題になるのではないでしょうか。
笑いの対象⇒正常な対象となるプロセスは意外に多いです。本来は、殺してもいい対象⇒同列の中でも異常な対象⇒笑いの対象⇒正常な対象となるとは思いますが、この例をたどって言ったのが、身体・精神のいずれかに、慢性的・先天的な疾患を持つ方々ではないかと思います。
報道に対するには、その報道の対象になった集合以外の人間からの、大多数の批判が必要になると思います。である以上、現状でこの報道を批判することは不可能ですが、将来的に不可能であるとは考えません。実際、この記事を見て不快感を感じたのは、同性愛者のみではない。というのが、その理由として挙げられるのではないでしょうか。 JING