▼ルパンさん:
>50年100年経ってもゲイはなんら変わらないからさ。自ら環境を変化させることも望まない閉鎖的な中で似たタイプ同士の末長く続かない恋愛ごっこをして責任すら持てない子供並みの中で生きればいいのでは? 男女の恋愛とゲイの恋愛の違いはそれらをとりまく環境に差異がある。 分かりますか?同じ恋愛でありながら男女結婚をすることが可能。 ゲイは自らが望まないから、いつまでたっても相手に対してしっかり責任がとれない子供扱いされてる。 男女でも子供に恵まれない人たち夫婦もいるのに。 生物は子孫を残す本能がある。その本能に逆らって生きるのだから、当然どこかに無理が生じる。 不自然な行為を自然なゆとりあるものにするには、ゲイ全体が気持ちの面で開かれなければ大半の人たちは末長く恋人とは付き合っていけない。 80%が5年以上の付き合いは出来ない。 男女の離婚率に比べ異常に高いのが今のゲイの実態。 何かがゲイ全体で破綻しているからなのではありませんか? とても個人の資質の問題だとは思えない。 学校や職場、その他でゲイがありふれた存在になれば、環境が変われば人の気持ちも変わるのではありませんか? その為には同性婚が一番効果があるのではありませんか? その為には、同性愛者が結婚を望まないと。 同性婚を利用するのは同性愛者だけなのだから。 その為には、出会い系サイトやネットで地道にこうした書き込みを10年くらい続けて、まずはゲイの総意を示す必要があるのではありませんか?
私たちの誰かが、本能に逆らって生きているでしょうか?誰か本能に逆らって生きているとう人はいるでしょうか?
私たちの愛(欲望)が自然ではないとどうして言えるのでしょうか?自然界には同性愛がないとどうして言えるのでしょうか?(生物学者はむしろあると言っている)
私たちの多くは、自らの欲望に従い、「自然に」行動したからこそ、同性愛者(と呼ばれるよう)になったのではないでしょうか?自らの欲望に、逆らっていたら、私たちは今、ゲイだとは呼ばれはしなかったでしょう。
高校の生物で登場する「本能」という専門用語を安易に矮小化して理解するべきではないと思います。本能と異性愛を結びつけるイデオロギーは、生物学を批判しているジェンダー学やフェミニズムが近年陥っている論理であると私は考えています。そのような論理は、常に変化し、新しく書き換えられる可能性のある生物学を、安易に固定化し、本質化し、生物学を「生物学的本質主義」という矮小化された思想に還元させてしまうおそれがあると私は考えています。
ルパンさんの「思い」や環境を変えるきっかけとして同性婚を提案されることに特に反対するつもりはありません。