yuttaさんの意見と並行するかも知れませんが。
ミシェル・フーコーという、思想家がいましたが、彼はゲイであり、なぜ性<セクシャリテ>が問題になるのかを、「権力」や「統治性」などと呼ばれる概念で説いています。詳しくは、ぜひ『性の歴史』とよばれる本を読んでみて下さい。
人の幸福をねがう「福祉社会」が、アウトサイダーを迫害するのか、それは福祉社会の「純化作用」の反作用であると考えられます。ここには国家の意思が働き、人民がより、高潔な純潔なる「人種」であるべく、そのためには反因子の排除を願う真理が、国民自身の中に起こります。これが、ゲイに生まれた人々がまず陥る、自己アイデンティティの否定の要因になります。これが、排除と自己否定の簡単な流れだと考えられます。
まずそこからの脱却をはかる必要があるでしょう。
話は変わるかも知れませんが、わたしは、同性婚は反対です。なぜなら、その根底にある、歴史的な「婚姻制度」の枠組みに絡め取られることを恐れるからです。婚姻制度は、強力な国家の意思を反映しています。
同性愛者は、強力な国家の意思から自由であるのに、なぜ、わざわざ絡め取られる必要があるでしょうか。
私たちは、ゲイで<ある>ことから卒業し、ゲイに<なる>ことを探求していく必要があると思います。