▼koufukurairaiさん:
変えていくという選択をするのであれば、変えないのが不自然な状況、または変えなければ正しくない、という状況を作るしかないと思います。これには膨大な時間と努力が必要だとは思いますし、少なくとも10年単位で考えなければならないとは思います。
まず、ハッテン場が悪い。という人もいますが、さまざまな要素をかんがみてそういったものを変えるよりも、性別としての男女概念を考える必要があるのではないでしょうか。
私は随分この手の話題を使いますが、公衆浴場やプールなどの更衣室に同性愛者がいることは、少なくとも異性愛者からしたらいやなことだと思います。現在は、同性愛者が公的に認められていないからこそ、現状のままでいられるものの、そうでなければ、男性に性愛のベクトルが向くゲイの人間が、男性として、現在あるような銭湯・トイレ・更衣室に入ることは不可能になると思います。
準備をするのであれば、そういった状況になるのが当然であることを、まず同性愛者が理解することではないでしょうか。それによって、異性愛者に対して、「同性愛者側には、制度を変える準備と説得力に富んだ意見がある」と主張することができると思います。
そうなれば、1つの段階として、制度上で同性愛者を認めされることができる未来に近づけるかもしれません。
でも、おそらく不可能に近いと思います。「何で男なのに、男として異性愛者と同じ更衣室やお風呂に入ったらだめなの!」と問われれば、「同性愛者だから」としか言いようがありません。しかし、これで納得しない人は多いでしょう。
モラル・モラルと言われますが、問題なのは、異性愛者側の立場に立ったり、自分が更衣室などで、自分の性欲の対象ではない人間から、性欲の対象として見られた場合の嫌悪感、または自分の愛している人間が、そんな状況に置かれていたら、と考えたときの不快感を、受け止めることができるようになるのであれば、変わっていくのではないでしょうか。 JING