ご意見有難いです。
江戸時代については、そういうものもあったし、純粋な興味からの同性愛行為というものもあったし、同姓恋愛というのもあったらしいです。
ただ、やはりその時代にも否定感情を持つ人は居たでしょうしバッシングをされてないということはないと思います。
けれど、今程ではないと思います。
江戸時代の事を勉強している人からは「同性愛は普通だった」と聞くし、個人的に詳しく調べた訳ではないので明確な事は言えませんが(不勉強ですみません・・・)、生粋の同性愛者、というのは居たと思いますし、その上での恋愛も当然あったと思います。
けれどそれを責める人やそれだけで身分を剥奪されたり、という事はなかったと思います。新撰組にも男色家が居ましたから。
だからこそ「普通だった」という印象があるのでしょうし、江戸時代の人々はきっと寛容だったんだろうなぁと思いました。
人が亡くなる、という事についてですが、人が死ぬとやっぱり私も哀しいし、その話で笑ったりは出来ません。
当然遺族の方にはお悔やみ申し上げますし、出来るだけ力にもなりたいと思います。でも、それは、人として「当然」の事であって、そうする事が特別ではないと思うんです。
死ぬのも生きるのも当人の自由です。
周りの人には迷惑がかかるでしょうが、やっぱり自分の命は自分が握っていると思います。
だからこそ私は、死を重要だと思いたくないのです。
冷酷な人間だと思われるでしょうが、やっぱり、人間だって動物である事に変わりはないし、死というのは重要ではないと思います。
伝わりにくい文章で申し訳ないです。
つまり私は、ポジティブな意味での重要はあるけれど、ネガティブな意味での重要はないと思うんです。こう言えば伝わるでしょうか。
こちらこそご指摘居いただければ幸いです。