人権侵害。そもそもそれを法律で定義付けするのが高慢なのではないのでしょうか
と、私は思っています。
人権というのは、「人である権利」ですよね?
実際法によってどう定められているかは詳しく存じません。
なので、私の意見は説得性のないものかもしれません。
けれど、例えばバラエティ番組で「死ね!」と突っ込む。の例えですが、それは空気やノリで突っ込んだにしろ、本人が深く傷ついたらそれは「何故俺はお笑い芸人というだけでそんな事を言われなければならないのだろう。」と思う。つまりその人からすればそれは差別。つまり、人権侵害になるのではないですか?
それだけではなくても、差別と人権侵害は同義なのではないのでしょうか。
どれだけ客観的という言葉を使おうが、差別や人権侵害という問題こそが心の問題です。感情論を法で定める事など不可能です。
なぜなら、法律というものは存在自体が社会的なものだからだと思います。
差別を定義付けするのは、確かに可能かもしれません。
でもそれは、形だけ。定義付けしたとしても、矛盾が生まれ、問題が生まれ、そして気付くだけ。「不可能」だと。
私はそう思います。
人の心さえも社会や理屈で縛ってしまえば、ロボットと同じ存在になるでしょう。
結局それは、人権を擁護しているのではなく、自由を縛りつけているだけなのだと思います。