▼空汰さん:
ご返信頂きましてありがとうございます。
私も、空汰さんと意見を交わせる機会を持つことができまして、非常に嬉しく思います。別段、薄っぺらいと感じることはありません。が、私がそう思うことがあるとすれば、狂信者か、自己正当化しかできない人間の、あまりに納得できないというか、聞いただけ。内容はわからないが、こうなんだ。という意見は薄いと思います。
さて、同性愛に関しては、別段キリスト教において、明確に禁じられているものではありません。キリスト自身が、生産性の無いものは必要ない。といった類の発言は残しているようですが、それは、この世の中に非生産の物はありえない(清濁両面において)という解説もありましたが、これは、バチカンが指定した福音書のようなものには記述がありません。
こういったことは、色々な悲劇を生んでいます。その最たる例が、ジローラモ・サヴォナローラによる清貧を旨とした弾圧ではないでしょうか。これは、清貧という志は正しいものの、それを正しく運用することも理解することもできなかった最たる例だと思います。
今の世の中は、民主政治という名を借りた様々な悪徳が積み上げられているといっても良いと思います。そんなときに、宗教の教えを頼るのも良いとは思いますが、実は、宗教というのは点であって、それを面にしたものは、大乗仏教を初めとするようなものになります。しかし、これは、教えの全てを理解するわけではありません。つまり、宗教から、面へ至るには、実は知性に頼る方法しか残されていません。その材料として、宗教を用いるには、実は”証拠”を必要とする、または、事実を要求する知性には向かないといっても過言ではないと思っています。
私は、様々に残っている文化や、見識を、現代において生まれた正しい部分に融合させることによって、より深い見識を生み出すことが出来ると思います。ただ、それ以外の方法に、例えば美輪明宏さんや細木数子さんのように、宗教、神秘、統計学の分野から真実を悟ることによって、それを還元させることも可能だとは思います。
世界平和というものは、実は、全ての人間がそれを思わない限り実現しません。そして、ありとあらゆる権力欲を捨てることも必要になると思います。また、ただ人間が増えるだけでもいけません。つまり、食物連鎖の関連を断ち切って、人間が頂上に立った現在においては、そう簡単には平和を実現できません。人間の増加だけを考えるなら、いくらでも簡単に思えるのですが、生き物への冒涜や、様々なことを考えると、非常に難しい問題になります。
世界平和とは、何を指すのでしょうか。戦争がなくなればいいのでしょうか。憎しみがなくなれば良いのでしょうか。生物を無駄に殺さなければ良いのでしょうか。実は、今挙げた全てが、私は違うと思います。これを模索するには、人一人の人生では恐らく不可能でしょう。それを可能にするのが宗教ではないでしょうか。ただし、それは万人に認められるものではないということです。
ここまで来ると、堂々巡りにはならないですが、かなり複雑な思考に私は思えてしまいます。目前の命題を片付けていくことも必要ですし、数百年、数千年、はるか未来を見据える目も必要でしょう。
つまり、多様性を認めることというのは、同時に混沌も意味します。恐ろしいことですが、未だに人間というのは、何一つ解明できていないのだと思います。もちろん、仰っていることは、一見正しいのですが、穴があるのではないでしょうか。それは、人間の視野や、生物の視野、地球の視野に囚われてしまうからだと思います。究極の視野というのは、何も無いにもかかわらず、すべてを見据えていることなのではないでしょうか。
私は、純粋さを失いつつあるなぁ。と思うときもあります。勉強というのは、非常に大切なことだと思います。お互いに、良い勉強をできるといいなぁ、と思います。 JING