▼空汰さん:
個人的な意見です。
日本は、宗教を根底から信じている種族とはとてもいえません。例えば、何か起こったときの日本人とアメリカ人の差があります。日本人は、様々な悲鳴や言葉を発しますが、キリスト教圏では、日本語で言う”おお、神よ”または”キリスト(ジーザス)”と言ってしまう部分が多いです。これは、生活上の根底に、単一の宗教を、ほぼ強制的に洗脳しているといっても過言ではありません。それは、教育にも現れています。例えば、日本の生物の教科書では、通常、ダーウィンの進化論を使用しますが、一方アメリカでは、未だに創世論を信じている人間が4割を超えるというグラフを見たことがあります。(ちなみに、裁判で、進化論はあくまでも信憑性がある可能性のある1つの論理として教えることを、許可するか否かという裁判で、進化論が負けに近い結果を生んだこともあります)
このように、誤った宗教観念というのは、かなりあります。特にあるのは、イスラム教とキリスト教です。並びに、日本限定の仏教です。これは、権力と結びついて、教えが完全に原典と異なってしまったものの良い例です。面白いのが、日本の国教である神道というのは、意外にも権力との結びつきが少なかったのと、こっそり、アミニズムからあまり発展を遂げていない宗教ですので、権力化しにくかった面が大きかった点で、誤った宗教観念の発育がなかったのだと思います。
実は、キリスト教や仏教などの宗教というのは、原典における教えは、殆ど遜色ありません。実は、奇跡の類というのは、最初は、一部の本当に修行(努力)を重ねた人間だけに伝え、一般には、そんなものには頼ってはいけないという面が大きく出ています。しかも、ほぼ、教えの全ては”人としての正しい生きる道”を、示しているに過ぎず、しかも、学ぶことや人を敬うこと、人を思い慕うことの大切さを説くのは、ほぼ共通しています。
ところが、日本に密教を伝えたのは空海ですが、それ以前から、仏教界においてかなり、陰の部分の教えが出始めていました。それを日本に伝え、役行者の修行法と共に、かなり広めてしまったところに、意外にも仏教への権力介入の口実を与えてしまいました。面白いのが、政治との大きな結びつきの最初が、恐らく最澄であると思います。そして、権力との結びつきが大きくなったのは、それ以後です。
キリスト教は、ローマ帝国の国教として栄え、その結果、十字軍(クルセイダー)の蛮行を起こしてしまっている側面もあれば、未だに”キリスト教以外の宗教は、未だに成長途中のものである”として、他宗教への攻撃を緩めないキリスト教とは恐ろしいものがあります。その真実の教えは素晴らしいものだと思いますが、残念ながら福音書も4つに限定されてしまい100を超えていた、解説書がなくなっていることから、非常に真実の教えを見ることが難しくなってしまいました。
このように、信念や行動理念が宗教に通じている、というのは、私は逆に感じます。宗教というのが、そもそも、人間の正しい信念や行動理念を教えるものだと思いますので、そこは解明するというよりも、知性と、信心の最終的な地点というのは(結局は、宗教に頼らず真実を求めることと、宗教の教えを元に真実を求めることの最終地点は)同じなのだと思います。
つまり、宗教の原典を解明することというのは、よほどの修行によって得られる物と、教えとして残したものの2つの融合ですし、知性や見識による人間の進化は、時間がかかります。正しくは、後者が宗教を作った。といっても過言ではないと思います。
上記によって、私は、宗教の解明は確かに進化、に繋がる側面もあるかもしれませんが、それは、全体としてのものではなく、単体としての進歩はあると思います。 JING