▼ペルリ提督さん:
>自然界には、意図的に設計されたと感じさせる証拠がはっきり見られます。このことから、設計者、創造者がいるに違いないと考えるのは、道理にかなっていますか?
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>『言うまでもなく、家は全て誰かによって造られのであり、全てのものを造られたのは神です。』−ヘブライ3:4より
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>このように推論している聖書の言葉に同意されるでしょうか?上の言葉が記されて以来およそ2000年始、人類は化学の面で大きな進歩を遂げてきました。自然界には、意図的に設計されたと感じさせる証拠がはっきり見られることから設計者、創造者、つまり神が存在するはずと考える人は、今でもいるでしょうか?
>産業技術の進んだ国に於いても、多くの人がこの点に肯定的な見方をしています。例えば、アメリカの場合、ニューズウィーク誌が2005年に行った調査で、『神が宇宙を創造したと信じる』ひとは
>80%に上りました。このように考えるのは教育レベルの問題ですか?では、科学を専門とする人達の中に神を信じる人はいるでしょうか?科学専門誌ネイチャーが1997年に伝えたところでは、調査の対象となった生物学者、物理学者、数学者の40%は神を信じており、しかもその存在だけでなく、祈りを聴いてそれに答える方して神を信じています。
>しかし、科学者の中には、このような見方を強く反発する人もいます。ノーベル賞を受けたハーバート・A・ハウプトマンは最近、ある科学者の会議で、超自然的なものに対するものに対する信仰、とりわけ神への信仰は真の科学と相入れない、と述べました。『この種の、考え方は人の福祉の為には寧ろ有害である』とさえ言いました。また、神を信じているという科学者でも、動植物界にはっきり見られる設計やデザインには設計者がいるはずである、という点を教えようとはしていません。これは何故でしょうか?スミソニアン協会の古生物学者ダグラス・H・アーウィンは、その理由の一つを挙げ、『科学の基本ルールの一つとして、奇跡は一切認められない』と述べました。
>自分がどのように考え、何を信じるかを他人に判断してもらう事も出来るでしょう。しかし、実際の証拠を自分で調べ、自分自身の結論を得たいと思われるのではないでしょうか?
>最初の設問について、是非ご自身でお考えになってみて下さい。
こっそり、意見を言わせてください。
自然界における黄金率や、様々に定義されたものを初めからあったと思えば、神々がいるのではないか。という推論に達します。しかし、黄金比も定義されたものも、実は進化、というよりも、変化を続けていく中で生物が取り入れた最も効率の良いものであったのではないか。と思います。事実、多種にわたる生物において、何故か同じような物を使い始めたりしている部分があります。それは単に”理由”が同じだからではないでしょうか。
アメリカは、創造論がかなりの割合で取り入れられてきた国です。未だに、進化論と創造論では、創造論を信じる人が4割に達するという結果もあるようです。そして、私もこっそり神様がいても驚きません。ただし、巷で信じられているような神様はいないと思います。特に、ギリシャ神話等の神話の神や、人格のある創造主がいるとは思えません。ある意味では、人間が見つけていない高エネルギー的なものかなぁ?なんて勝手に推論を立ててしまいます。この世に存在するのに、存在しないものがありますが、それの整理した形、例えば球の方程式や円の方程式を完全に当てはめることの出来る現実にあるものはないはずです。そういったものなのかなぁ?と私は思います。ただ、少なくとも、創造主が居るから〜という理由は、ただの現実逃避だとは思います。そんなもの、結局は自分の選択の結果ですから、そういったことを”運命・宿命”とすべて片付けてしまう宗教は信じませんが、各宗教の原点というのは、意外とそういったことは明記されず、生き方や、経験によって感じた摂理の推論が書いてあるに過ぎません。宗教が政治利用されるようになってから、教えは変わっていますが、それ以前に関しては、よく知る必要があるなぁと思いますし、変化後の神を信じるのは、ただの煽動政治家の手のひらで踊るようなものなので嫌です。
実は、植物の設計の根源に、学会は近づきつつあります。それは、今までの地球の歴史が過ちであったのではないか、というものに基づいています。そして、遺伝子を調べていくうちに人間であれば5つの起源。植物にも数種の起源が見つかり、それをより探求していくと、未だ化石の見つかっていない原生生物の遺伝子を解読できうるという結果にたどり着きましたが、残念ながら10年やそこらでは不可能のようです。しかし、民間会社の協力もあって予想以上のペースでそれが進んでいるといえます。しかし、それを『神に対する冒涜』と批判する学者もいます。これは、ゲノム創薬や延命治療にもかなり関わってくるのですが『人間はどこまで”知って”いいのか。力を”持って”いいのか』ということは、かなり重大な命題になり、それを阻止する手段として”神”の名前が使われることも多いです。
そして、私は人間が知っていることは、全体のほんの一部に過ぎないと思っていますし、事実だろうと思います。逆に、これ言うと狂信者的といわれるのが嫌なのですが、私は人間の信じていないというより、確認できていないエネルギー作用や事象はあると思います。そして、世の中には心霊現象的なことによって様々に頭脳を整理している人も居ます。それが、意外と本当の答えだったりする場合があることから考えて、物事の摂理に向かう道は多種在るのではないかと考えます。それの答えが、例え創造主がいる。ということであったとしても、それを裏付ける理由は、現代においてはありません。それを”智”として探求するのか。それとも”心霊”として探求するのか、どちらにせよ、答えを導き出すのには遠いのではないでしょうか。
ちなみに、意図的に設計されたという証拠の反論はだいぶ出ていますし、こっそりその意図的に設計された。という推論自体がある仮定の下に成り立っていますので、それを道理にかなっているというのは少々無理があります。