▼ルパンさん:
あの、揚げ足を取ってるのが貴方であることが理解できませんか?貴方の言が正しいと思わないでください。批判した貴方の言そのものが、正統的主張に掛けるからこそ、それを指摘しているに過ぎません。 アメリカの言いなりであるのは政府です。これに、政教分離だのなんだの、と主義思想の問題を突きつけたところで、アメリカからの忠言による法案である。といえば、これは法律的に宗教との繋がりであるとはいえないことになります。ですから、政教分離は無意味だと申し上げました。
次に、国民の合意というのは、政府の主義思想の前に”社会の組み立て”の問題になります。国民全員が、Yesということに対しては、国はどのような忠言の元であっても、それを拒否する義務があります。ただし、政教分離を理由にした場合は、それが不可能になります。
私は、アメリカの言いなりの政府といいましたが、国民が政府の言いなりとは言っていません。そこが、打開策のポイントであり、同時に、政治変換の重要部分になります。
現在、国に対して介入力を持つのは、正しい団体ではありません。”財力と権力”を持つ団体です。でなければ、経団連や日教組が力を付けるわけがありません。これは、アメリカに力を持つ必要性など何もありません。ちょっと会話を端折ろうとしたことが間違いだったようですので、いちいち説明するのはとても面倒なのですが、一応します。
同性愛者が政治に一定の効果、つまり、同性婚などを要求する場合には2つの手段があります。それは、正の手段と負の手段と言っても過言ではありません。
正の手段というのは、私が過去申し上げたとおり、理由・草案を同性愛者自身が作ったうえで”国民の権利”の保護を訴えかけ、同性愛者自身も義務や責任を背負うことになりますから、リスクとリターンが同等の施策です。
負の手段というのは、前回申し上げた”政治家への介入力”の保持です。これは、決して褒められるべき手段ではありませんし、同時に破滅を孕むハイリスクハイリターンの施策です。方法とは、同性愛者でそれ相応の資産力を持つ団体を作り、それ相応の事業展開をします。または、現在の財界に潜む同性愛者を吊り上げるのも手です。このとき、財界と政治家との癒着と同じ要領で政治家と癒着し、義務責任を一切必要としない”同性愛者保護政策”を行わせます。これは、事実上の犯罪です。しかし、日本社会では、過去からこの方法が上策として行われてきました。それの一例を挙げたのは、貴方が”政教分離国家であるから〜”という、この部分にまさに起因します。この理由を用いて、アメリカのキリスト教介入を配送とすれば、必ず失敗に終わり、その結果、別の方法を用いる必要性があります。このときに、私の言った”国民主権国家”であるという事実を無視するのならば、実はこの方法が最も効果的です。
婚姻の効力など問題になりません。それは、ただの屁理屈です。なぜかといえば、婚姻の発生は、正負どちらでも構いませんが、きちっとした法改正の下でなければいけないのではないでしょうか。 JING
ただ、ご返信いただいておいて申し訳ありませんが、ここの掲示板への書き込みをやめようかと考えています。理由は、私の言で傷ついて人が多く居ることと、不快感を感じた方がそれより多くいらっしゃることです。また、私自身が正しいと思ったことはありませんが多種に誤解を生んでいるのかもしれないという不安もあります。それに、自分自身の行動の選択を間違えたことに自覚がありますので、出処進退を弁えようと思います。