9月の初旬。ケイタくんの一人暮らしする場所が決まった。初期費用安めで保証人不要の物件が見つかった。探せばあるものなんだ。
引っ越しはもう来週だ。あの時から僕たちはほとんど会話をしていなかった。一緒に住んでるのに、わざと顔を合わせないように生活していた。
引っ越しの話もケイタくんは僕にLINEで送ってきた。同じ家に住んでるのに、もう会話をする事もできない。
ケイタくんが出ていく前日、宅配業者が荷物を取りに来ていた。ケイタくんの荷物はそんなに多くないから引っ越し業者を頼むまでもない。
僕はケイタくんの部屋に吊るしてあったハンツマンのスーツの内ポケットに50万円と手紙が入った封筒をそっと入れておいた。
その夜、僕はケイタくんに一緒にご飯食べようと誘った。
「はい」とケイタくんが僕を見ないで答えた。
その日の晩御飯は僕の手作りカレーを出した。ケイタくんは美味しいと言っておかわりをしてくれた。
僕はケイタくんに最後に言っておきたい事を伝えた。
ここを出て行って困ったことがあっても安易に体を売って稼ぐ事はしないで欲しい。バイトも頑張りつつ就職活動をちゃんとして、なんでもいいから正社員で定職について欲しい。スーツを着る仕事をして欲しい。高いスーツは仕事に慣れて1ヵ月くらいしてから着て行く事。それまでは面接も仕事も安いスーツで過ごすこと。
仕事をしてない空白期間は親戚の叔父さんの会社で仕事を手伝っていたと言う事。高いスーツはその親戚の叔父さんが就職祝いに買ってくれたと説明する事。
保険料や税金は払う事。どうしても払えないなら払えないと役所に相談に行く事。できる限り三食ちゃんと食べる事。
ケイタくんは「分かった…」と僕の目を見て答えてくれた。
その日、僕は明日からまた一人になるんだなと思いながら布団を敷いていた。襖がそっと開いた、ケイタくんが立っていた。
「今日は…ここで寝ていい?」と聞いてきた。僕は黙って布団をめくった。
ケイタくんの体温はとても温かかった。エアコンで少し冷えた体に心地よい温かさをもたらしてくれる。
ボディソープのいい匂いがする。最近またボディソープの香りを変えた。爽やかな柑橘系のいい匂い、こんなに良い匂いだったんだ。でも、このボディソープの匂いを感じるのは今日で最後なんだろうと思った。
ケイタのサラサラの髪を撫でながら、その日はケイタを抱きしめて眠った。
次の日の朝、僕はホットサンドを作った。ケイタくんは美味しいと言って食べてくれた。
「今までお世話になりました…」
ケイタくんが玄関で頭を下げた。僕は『お粗末様でした』と答えた。
「じんさんは結局なんで僕を助けてくれたの?」
『分からない』
「なんで付き合ってくれなかったの?もうこれで終わりなの?」
『こんなおじさんの事は忘れて、ケイタは同い年くらいの子と楽しい恋愛をした方がいいよ』
「じゃあ、もう忘れる…じんさんの事全部忘れる」
『…』
「じんさんも僕の体を買っただけで、遊んでただけで、本気じゃなかったんでしょ」
『ケイタ、辛い事があったり、どうにもできない、本当に困った時は最後の最後に僕に連絡してきて。僕はケイタの事ずっと大事に想ってるから』
ケイタくんは頭を下げてから無言で出て行った。
長いようで短い二人の生活が終わった。