約束の日曜日になった。
その前日の夜から数回にわたってヤツからメールがあった。
「明日の11時に集合だから!!」
わかったと何度送ってもそれに似たようなメールが来る。最後にはわかったって!と書いたあと、ムカツキマークまで入れてやった。
なのに……俺は案の定?寝坊をしてしまったわけである。
起きると10時50分で、10分で支度ができるわけがなかった。すぐさま支度をして家をとび出した。ガレージ脇に止めてある自転車にまたがり、いつもの待ち合わせ場所へ向かった。
着いたころには11時10分くらいだった。遠くから近づく俺の存在に気づくと、あからさまに「待ったんだけど」という目つきと態度でこちらを見てきた。
「悪い悪い。本当に遅れるつもりはなかったんだ」
すると大史のぶんざいでため息までつきやがる。
「あれほど11時だって念押ししたのにさ」
遅れたぶんざいでこんな気持ちになるのはダメだろうけど、イラッときた。反論してやった。
「そもそもおまえが何度もメールを送ってくるから眠れなかったんだろ!」
「ええっ!俺のせい?」
「そうだぞ、俺が寝坊したのもおまえのせいだよ」
「あちゃー、参ったな……ごめん」
本当は俺が悪いはずなのに、反対に大史に謝らせて優越感に浸る俺。さすがに申し訳なく思って謝った。
「って嘘だよ。悪かった、ごめん……で、今日はどこに行くの?」
俺がそう聞くと、大史は待ってましたといわんばかりに無邪気な笑顔を見せると、自転車にまたがり言った。
「まずはメシだな、飯。どうせアキが朝食も食べ損ねるだろうことは百も承知だよ」
「さすが」
「だろお!」
大史をちょっとおだててみる。予想通りの反応を返してくれるから楽しい。
「じゃあ、最近できたあそこのショッピングモールに行こう」
「おう」
そうして俺たち二人は並んで自転車をこぎ始めた。
今思えば、その後はまるで男女のカップルのように遊んだ。
でも長年一緒の親友とかになると、二人きりで買物に行ったりも普通にある話だ。べつに他人の目を気にすることもなかったし、他人だって、仲のいい親友なんだなと思うだけだっただろう。
ショッピングモールに着いた俺たちは、まずは適当な店に入って昼食を済ませ、その後、モール街をぶらぶらと歩きまわった。
大史は始終はしゃぎまわっていて、こんなにガキっぽい大史を見るのは久しぶりだった。今日一日は何からも解放された「素」の状態の大史なんだと思った。
そのモール街で2、3時間過ごした後、大史はその後の、大史の言うデートコースも考えてきていたみたいで、突拍子もなく、
「海へ行こう」
と言い出した。俺は何を言っているんだかわけがわからず、「はぁ?」といぶかったが、大史はそんなことお構いなく、自転車にまたがると海を目指した。
俺も慌てて自転車にまたがり、大史のあとに続いた。
まあ、俺たちの家からも、このショッピングモール街からも、海に行けない事もなかった。事実、海水浴シーズンになると、家から自転車で友達と海に行くことはよくあった。しかし今は6月の最終週といってもまだ海水浴シーズンではないし、つい戸惑ってしまったのだ。
海に着いた二人は自転車を降りると、堤防の階段を降りて砂浜に立った。
さすが海水浴シーズン外、砂浜にはだれもいなかった。けれど逆にそれが新鮮で、なんだか海水浴場を独り占めしたような気持ちになった。
(そういえば海水浴シーズン外にここにきたことなんてなかったな)
なんて俺は心の中でぼんやり思い、海に平行して大史と一緒に砂浜を散歩した。
すると、いきなり大史はスニーカーと靴下を脱ぎだし、ジーンズのすそも捲くし挙げて、ジャバジャバと海の浅いところに入りだした。
「うおー!やっぱりまだ冷たい!」
「当たり前だろ」
「明宏も入れば?おお!足がすくわれる!」
そう言って転びそうになる大史にとっさに手が伸びて、がっしりと大史の腕をつかんだ。
「おいおい、大丈夫かよ……」
と、ここまではよかったのだが、すぐさま次の波が襲ってきて
「えっ、……っておい!」
俺は逃げるまもなく膝下あたりまで海に浸かってしまった。もちろん靴も靴下も履いたまま……
俺はやってしまったとばかりにため息がもれた。無常にも波は去って行って、その去り際に細かい砂浜の砂も一緒に巻き込み、その砂が俺の靴の中に入ってくる。一瞬にして靴の中は砂のジャリッとした気持ち悪い感触に見舞われた。
俺は途方にくれていて、もちろん大史も心配してくれているだろうと思ったのだが、正面からクックッと小さな笑いが聞こえると、やがて爆笑になって俺の方に指を差しながら笑い出した。
「うわー明宏のドンくさいところ見ちゃった。こりゃあ面白いわ」
とゲラゲラ笑い出して、俺のボルテージは心の中でふつふつとたまって言った。
そしてとうとう爆発してしまって、
「おまえが倒れるのを支えてやろうとしたからじゃねえっかよ!」
と大史の肩を勢いよく押してやった。
倒してやろうとかは思っていなかったけど、倒すことはしないでおこうとも思わなかった。大史は「えっ?」とマヌケな表情をすると、突然慌てふためいて、バランスを失う自分の身体をコントロールしようとしたが間に合わず、大史は海に尻餅をつくかたちで倒れてしまった。そしてタイミングよく、ザブーン。
波が引いて、大史を見ると、顔を伏せたまままだ座っていた。さすがにまずいことをしたかな、怒ってるかな、と不安になって、機嫌をうかがうようにそっと話しかけた。
「おい、大丈夫か?悪い、ちょっとやりすぎた……」
そう言って手をさしのべると、大史はその手を握って、すさまじい力で引っ張ってきた。
「えっ?」俺は踏ん張ることもできなくて、加速がついたように大史を素通りするとよろめきながら、最終的に海に頭から突っ込んだ。
(やられた)予想もしていなかったので、海水がすこし口に入り、塩の味を噛み締めながら思った。
勢いよく状態を起こし、頭を上げた。
「ああ!もう最悪!」
そして振り返った。大史はいつのまにか波に襲われないところまで避難していて、その場から俺を見て腹を抱えて笑っていた。怒りがふつふつと涌いてきたけど、もう頂点を通り越してしまって、呆れてしまった。
あきらめのため息をひとつ吐くと、今の俺の状態も、前にいる大史の状態も、そして無邪気に笑う大史も、全部馬鹿らしく思えて、俺もつい笑ってしまった。
他のヤツにこんなことをされると、絶対と言っていいほど喧嘩になると思うが、大史がやると、俺の怒りはいつも屈折させられて、ばかばかしくなってしまうのだ。結局優位に立っているのは大史かもしれなかった。
楽しいのはここまでだった。ひとまず波の来ないところに二人移動すると同時に、大史の後頭部を一発殴った。
「で、この状況どうしてくれるんだよ」
「ごめん」
「後先考えず行動すっからこんなことになるんだろうが」そう言ってもう一発。
「ごめん」
「ああ、もう!靴下の中まで砂が入って気持ち悪いよ……おまえが洗えよ」
「はい、洗わせていただきます……」
始終大史はおとなしく俺の言うことを聞いていた。(いつものことだけど)
俺が靴を脱ぐと、大史はそれを持ってもう一度海の中に入り、海水で靴をすすいで砂をとる。靴の底まで取って砂を完全に取り除いていた。
俺はその間、上の長袖シャツを着ていたのだが、それを脱いで、小さく丸めて海水を絞っていた。それで身体に残った水気を取って、また絞って、洗濯物を干すときみたいにバタバタとすると、まあまあ着て我慢できないこともなかった。
上を着て、ズボンも同じようにしようと、ポケットに手を突っ込んでみると、
「うわっ!こんなところにも砂利が入ってきてるし!」
と言って、大史を白い目で睨んだ。
すると、大史は苦笑して、「洗わせていただきます」と言って、きれいになった靴と引き換えに、ズボンを脱いでわたした。
さらにボクサーパンツもビショビショだったので、絞ろうかと考えたのだが、さすがに公共の場であるからすこしためらった。しかし、もう1時間弱(いつのまにか経っていた)も遊んでいるのに、誰一人として人を見かけなかったので、大丈夫かなと思い、大史がズボンを洗ってくれているあいだに、俺は後ろを向いてパンツを絞っていた。絞りながら、(俺は何をしているんだろう)とまたばかばかしく思ってしまった。
そしてある程度絞れたらもう一度穿いた。
「明宏、お尻丸見えだぞ」
「うっせえ」
すると大史は笑っていた。大史から返されたズボンを硬く絞って水気を取り、また穿いた。その後は明宏も同じようなことをして、とにかく服を乾かしたのだ。
唯一の救いだったのは、今日が晴天だったってことくらいだった。6月下旬ともあり、陽気はぽかぽかしていて、風邪は引きそうになかった。
一通り終わったところで、二人並んで、海を正面に座った。
「あったかいね」大史が言った。
「ああ」俺が答えた。
「夏休みになったら泳ぎにこようよ」
「今度は海パンでな」
すると俺の横で大史は笑った。
「ごめんよ。怒ってる?」
「べつに。怒ってたらすでに帰ってるし」
「そっか、よかった」
その後しばらく無言が続いた。
二人の空間に海の音だけが聞こえた。なんか知らないけど、場の空気が変わって、真剣な感じになった。
だいぶ間をおいてから、ふと疑問に思ったこと……いや、ときどき考えてしまうことを、本人に聞いてみた。
「なあ、大史、おまえ、俺と一緒にいて楽しい?」
「え?なんで?」
「それはさ……」
なんだか本音を口にするのは恥ずかしいけど、場の雰囲気がそうさせてくれた。
「なんていうか、その、おまえって……優しいじゃん?俺のわがままだってなんでも聞いてくれるし、今まで一度だっていやだなんていったことないし……。そんなおまえの優しさを利用してるっていうかなんていうか……」
「べつにそんなこと感じてないよ。なんでって全部冗談でしょ?冗談で俺に命令……って自分で言うの恥ずかしいけど、なんでもかんでも俺に言ってくるの、全部冗談で言ってるんでしょ?その冗談っていうの、ちゃんと俺にも伝わってくるから、俺も冗談で返してるだけだよ」
「70%本気だけどな」
「それでも冗談は冗談だよ」
「……」
俺はしばらく押し黙った後、口を開いた。
「いじめをしてる側ってたいてい冗談だと思ってるんだけどね」
すると、大史は困ったとばかりに苦い笑顔を見せた。
「大丈夫、今のところいじめられてる側も冗談だって思ってるから。それに、いつもそんなことを考えてくれているんでしょ?もしかして俺を利用してるんじゃないか、って考えてくれているんでしょ?そう思ってくれている時点でいじめでも何でもないし、それが伝わってくるから遊びで済ませるんじゃん」
「そっか。ならいいけど」
「うん」
大史の言葉を聞いて、すこし、ほっとした。たまにこちらは冗談で言ったつもりでも、相手が真に受けてしまったって経験はないだろうか。その時点で、それは冗談でなくなるし、相手を傷つけてしまう。
俺はすこし不安だった。すべて冗談で通じているのか、いつのまにか大史を傷つけてはいないだろうかと。こんなじっくり話せる機会がたまにあるのもいいなと思った。