俺がベッドを背凭れ代わりにして座り、おにぎりに一口かじりついたとき、部屋のドアが開いて大史が入ってきた。大史はグラスを二つ持って現れた。
「はい」そう言ってお茶の入ったグラスをテーブルに置くと、大史パンをひとつ選んで自分も食べだした。
「買物に行っただけなのに、結構疲れたね。こんなに外が暑いとは思わなかった」
「そうだな。それに比べたらここは天国みたいだな」
俺がそういうと大史は小さく笑った。
二人のあいだに、それ以上の言葉はなかった。
なぜだろう、午前中はあんなに話すことがあったのに、コンビニから帰ってきた途端、話すことを見失ってしまった。話題を考えている時点で話題がなくなったということはわかった。普通、友人なら話題など考えずとも出てくるものだ。
大史の部屋に、変な空気が流れ始めた。
俺は一個目のおにぎりを食べ終えて、二個目のおにぎりを手に取り、食べ始めた。
そうこうしていると、大史もパンを食べ終えて、その場でぐっ、と伸びをした。俺はその後ろ姿をただ眺めていた。そのとき、大史が声を上げた。
「あーもう! なんか変な空気になっちゃったね」
大史が変な空気を取り払おうと気を入れなおしたのだ。その光景を見て、俺も面白くなってつい小さく笑った。「そうだな」
すると大史はこちらに来て、俺の背中をまたぐように、俺の後ろのベッドに腰掛けると、「アキ、ちょっとベッドから背中離して」と言った。俺はわけがわからず――というか、何も考えず指示に従って、俺の背中とベッドに隙間ができると、そこにすとんと大史が滑り込んできた。そして、後ろから俺のお腹あたりに手を回すと、ぎゅっと抱きしめられた。俺は大史の突然の行動と悪ふざけについ笑ってしまう。
「なんだよいきなり」
「いいじゃん」
大史は屈託のない笑顔で笑いかけてくる。
「暑苦しいだろ。それとも押しつぶされたいのか?」
そういうと俺は足を突っ張って大史に圧力を加えた。
「重い重い重い!」その慌てぶりにまた声を出して笑ってしまう。
「わざわざそんな隙間にはいってくるからだろう」
しばらくそんなたわむれをしていた。
すると今度は大史が俺をぎゅっと抱きしめてきて、言った。
「アキ、大好きだよ」
その一言で心臓が高鳴る感覚がした。でも平静を装って適当にあしらった。
「はいはい……要る?」
そう言って手に持っていたおにぎりを大史に見せた。
「うん」
「ほらよ」
俺はおにぎりを自分の顔の横に持ってくると、大史はそれを食べようと口を大きく開けて近づいてきた。そして大史が口を閉じる瞬間におにぎりを引っ込めてやった。大史はマヌケに口を閉じて食べ損なっていた。その光景が面白くて笑った。
「ははーマヌケな顔だなあ」
そう言うともっと面白くなって笑ってしまった。
「ちょっと、そりゃないよ!ちょうだいよ!」
「やだね。シーチキンマヨネーズは俺の大好物なんだからな」
「一口くらいいいじゃん」
「いやだ」
そう言うとおにぎりにかじりついた。そしてあと一口くらいになったおにぎりを大史に見せびらかしながら、「やっぱおにぎりはこれが一番いいよね」と言ってじらしてやった。しばらくのあいだふてくされた顔をしていた大史だったけど、突然表情を明るくすると、「そんな意地悪するんだったらこうするぞ……」と言って、俺のわき腹をくすぐってきやがった。
俺は突然のことで思わず口に含んでいた食べ物を吐き出しそうになったが、何とかこらえた。
「ちょ、おまえ!待てって!」
「あれ、アキヒロくんってそんなにわき腹弱かったっけ?」
大史の悪ふざけをたくらむ表情――俺は逆に落ち着いていった。
「待て、落ち着け。まじでやめろよ。さもないとどうなるか――」
俺の話を最後まで聞かずにくすぐってきた。俺は耐えられなくなって笑い転げた。しかも大史は後ろからしっかりとつかんでいるから離れることもできなかった。
「ちょっと待て!待てって!やめろっ!……わかったから、わかった!降参、降参!」
最初は強気だったけどどんどん弱気になる自分がいて、とうとう負けを宣言すると、やっとくすぐるのをやめてくれた。俺は笑いつかれて肩で息をしていた。
勝ち誇った顔の大史に最後の一口をあげた。「大史の分際でなまいきだぞ!」と嫌味を添えて。
「ごめん」大史は苦笑しながら言った。
俺はお茶を手にして一口飲んだ。
「……要る?」
俺が聞くと大史は素直にうなずいた。
そしてなぜだかわからないが、自分で動こうとしない大史に俺が飲ませてやるかたちになった。
「なんだよ。自分で飲めよな」
一通り落ち着いて、グラスをテーブルに置いた。本当に笑いつかれてしまって次のおにぎりなんかを食べる気も失せてしまった。
しばらく放心状態でほっと息をついていると、大史が後ろから呼んできた。
「ねえ、アキ」
「……なんだよ」
「ねえったら」
「だからなんだって」
俺は後ろを振り返った。すると、大史の顔が思ったよりも近くにあって驚いた。
大史の顔は先ほどまでの悪巧みをたくらむような子どもじみた表情からは一変して、真剣な表情で俺を見つめていた。そのとき、俺は改めて我に返ったように感じて、この部屋が――この家がやけに静かなことに気づいた。全開に開放されている窓からも町の喧騒は一切聞こえず、静かな午後だった。ただ聞こえてくるのは風の音と、小鳥がたまにさえずる自然の音だけだった。
そのとき悟ったのだ。あ、俺、キスされんだ、と。ただそう思っただけで、好きも嫌いも、その他の感情も何もなかった。していいのか悪いのか、すこしためらっていた大史だったが、やがて決心したようで、俺に顔をさらに近づけてくると、そっと大史の唇が俺の唇に当たった。俺は最初から避ける気も何もなかったのだが、大史はそれでしてもいいんだと核心したようで、一度離した唇を再びつけてきて、二回、三回とキスをした。そのうち激しくなって、大史が俺を抱く腕にぎゅっと力を入れると、さらに大史のほうに引き寄せられて、本格的なキスをした。
俺の頭は真っ白になって何も考えられなくなった。先ほどまで見えていた視界も真っ白になって、大史にゆだねた。ただ唯一感覚で思ったのは、大史の甘い体臭に引き寄せられる感覚と、大史の柔らかすぎる唇の感触だけだった。
続く