<続き>
中学2年の春、親の仕事の都合で内陸の盆地にある、
このド田舎に転校してきました。
1クラス25名で学年に1クラスしか無く、
1学年10クラスもある都会の大きな学校から越してきた自分には衝撃でした。
運動部はサッカー部と野球部、バスケ部のみで、
文化部は吹奏楽部しかありません。
俺は前の学校では水泳部で運動音痴ではなかったのだけれど、
小さい頃からの吃音持ちで、おまけにその頃ちょうど変声期が重なって、
人と話すのが本当に苦手でした。
部活への参加は必須で帰宅部という選択肢は無かったので、
四択の中から仕方なく、俺はイチバン人と話さずに居られそうな
吹奏楽部に入部しました。楽器を吹いている間は話をせずに済みますからw
部活に入った当時、俺は身長153センチくらいで、
クラスの男子の中でも小柄な方だったのですが、
女子ばかりの吹奏楽部の中での数少ない男子部員でしたので、
大きくて重い、チューバという低音担当の管楽器に充てられました。
低音域は長くて安定した音が要求されるので、息が長く続かなければなりません。
顧問から徹底して肺活量を鍛えるように言い付けられた俺は、
毎日、自宅から学校までの3kmの道のりを走って登下校するようになりました。
9月も中頃のある日、2年と3年の男子から4名ずつ、
俺を含めて合計8名が顧問に呼び出されました。
10月に学校対抗の駅伝大会があるそうで、
それに向けて俺も強化メンバーに選抜されたのでした。
ウチの学校には陸上部が無いので、
毎年各学年から、足の早い生徒を集めてチームを作るのだそうです。
しかし俺には駅伝経験など全くありませんし、
足も驚くほど早いわけではありません。
文化部の俺なんかより足の早い人は運動部に沢山いたと思います。
今思うと、毎日走って登下校しているのを知った担任が、
努力を見込んでオマケで入れてくれたのかもしれません。
あるいは、他校から転入してきてクラスにいまいち馴染んでいない俺を案じて、
自信を付けさせようという算段があったのかもしれません。