先輩と一緒に図書室に向かう途中、ふと何か違和感を覚えた。
いや、考えてみれば違和感だらけなわけで、隣にいる先輩は鼻歌なんか唄って何やら楽しそうだし、とりわけ重要なことでもなさそうだったので深く考えないようにした。
学校の外へ出ると、もう日が落ちかかっていた。
赤く染まった夕日がまぶしくて綺麗で、隣に祐二先輩がいるということもあって、それらはまるで夢のような景色だった。
「あ、そういえば俺、名前言ったっけ?」
二、三歩先を歩いていた先輩が突然、くるりと振り返って聞いてくる。
「え?あの、祐二先輩、ですよね。
あの二人がそう言ってました」
その答えにすぐさま納得した先輩は、
「はは、お前意外と冷静に記憶してんだな。
俺は高科祐二な。岡田は下の名前は……しゅん、だっけ?」
「は、はい。そうです。春と書いて、しゅん」
「似合ってるな、ほわほわして眠そうで、春っぽいわ」
「ね、眠そうって!はるじゃなくて、しゅん、ですから!」
思わずムキになって言い返すと、祐二先輩は笑っていた。
「やっぱお前、面白いわ!」
並んで歩くと分かったが、先輩は俺より頭二個分くらい背が高い。
身体の大きさに、たった二つ学年が違うだけでこうも違うのかと思った。
「そういやお前、家どこ?」
その質問に当時住んでいた三鷹と答えると、先輩はへぇーと言った感じで黙りこんだ。
今まで明るかった表情が急に無くなったのを見て、思わず無言で見つめていると、
「ん?あぁ、ごめんごめん!」
と笑いながらいつもの先輩に戻った。
何かあったんだろうか。
「そうだ!今日、お前んちに泊まり行っていい?」
「へっ!?」
突然のことすぎて、一瞬パニくった。
思えば先輩は、いつも突然だった。
いつも突然、人が驚くことを平気でやってくる。
良い事も、悪いことも。平気で……。
「せっかくの機会だしな!なーんかお前と会ったの初めてな気がしないし」
あははと笑いながら言う先輩に、俺はあらぬ妄想が膨らんでドキドキした。
「ちょ、ちょっと、親に聞いてみます」
俺は先輩から離れて自宅へと電話をかけると、幸か不幸か、親は急遽出かける用事だとか一晩家を留守にすることを告げられた。
「どうだった?」
先輩は期待の眼差しでこっちを見てくる。
複雑だった。思いがバレて嫌われたらどうしよう……。
でも……。期待と不安がぐるぐると頭の中で巡る中、
「大丈夫、でした。親が夜は留守にするって」
と答えた。先輩の表情がぱっと明るくなったかと思うと、
「よっしゃ!早く行こうぜー」
と言って、俺の手を引っ張ってきた。
先輩の大きくて暖かくて、しっとりした感触の手。
そうだった。思い返せば、どことなく似ていたんだろうな。
祐二先輩と、慶一君は。
……。
電車はちょうど帰宅ラッシュのピーク一陣目だった。
学校から自宅への中間地点であるターミナル駅に付くと、どっと人が流れて込んできた。
人の醜さが一気に交じり合うこの空間。
自分はこの感覚が嫌いだった。
俺と先輩はそんな人の勢いに押され、開いたドアとは反対のドアのほうへと流される。
俺はドア側に顔を向け、圧力に耐えようと踏ん張っていた。
先輩の姿は自分の視界からは確認できない。
そうこうしてる間に発車を告げるベルが鳴り、電車が動き出す。
それから少し経ってのことだった。
(――っ?)
突如、自分の尻の辺りに変な感触を感じた。
さわさわと、何かが這うような……。
(は?マジ……?ち、痴漢、いや、痴女!?)
初めてのことに一人パニくっていると、その感触はより強く、大胆なものになってきた。
完璧に触られている。
尻とももの裏の境目あたりからサワサワと、上下する。
それは腹立だしいことに、凄く優しいさわり方だった。
(あっ、んんっ……)
気持ち悪いはずなのに、不覚にも感じてしまう。
「あんっ…。や、やめ……、」
耳元に息が掛かる。思わず、ぞくっと身体が反応した。
その反応を感じとったのか、触っているであろう犯人が、
「感じちゃったのか……。ん……?」
と挑発するように囁きながら、あろうことか両腕を前にまわして俺の股間に手を伸ばそうとしてきた。
「だっ…、やめ、せ、先輩、助けて……っ!」
俺は混乱しすぎて、半泣きになりながら囁いた。
すると、その手の動きがぴたっと止まり、同時に、
「ごめんごめん。冗談だよ」
低くて男らしい、聞き覚えのある声がした。
スーっと、ミントのさわやかな香りがした。
(……え?)
恐る恐る振り向くと、ニヤッといたずらっ子みたいな笑みを浮かべた先輩がこっちを見ている。
一瞬何が起きているのがわからなかった。
が、触っていたのが先輩だということに気が付くと、自分の身体がカーッと燃えるように熱くなった。
「ばっ!な、なにしてるんですかーっ!!」
俺は感情のまま先輩に抗議すると、馬鹿、声がでけぇ!と囁かれて、口を塞がれた。
ぐぐぐ……とやり場のない感情に苛まれた自分は、視線だけで抗議する。
先輩は、わりぃわりぃと言った感じで焦っていたが、絶対許せないと思った。
でもやっぱり、そんな間近で見る先輩の仕草や表情は男前過ぎて、
いつの間にか自分の怒りはドキドキしながら嬉しさに変わってしまっていた。