一通りの準備をおえて、リビングへ戻る。
テーブルのうえには、ご飯と味噌汁と野菜炒め、あと冷蔵庫にあったおかず数品。
「すげー!うまそー!」
ごく普通な夕飯セットを囲んで、先輩は一人勝手に興奮していた。
「先輩……。普段どんなん食ってるんですか」
俺は気を使われているような気がして、半ば呆れたように言う。
「はは……」
すると、先輩の表情にふと影が落ちた。
それは二度目だった。
帰り道にふと見せたあの顔だ。
どことなく寂しげで、悲しそうで……。
「ここしばらくはコンビニとか出前とか、たまに手作りであっても冷めたやつ」
「え?」
意外すぎたその答えに驚いた。
先輩の家庭は喜怒哀楽が飛び交っている、絵に描いたような温かい家庭だとどこかで思っていたからだ。
「うちさ、数年前から両親の仲が最悪でさ」
それを皮切りに、ぽつりぽつりと話しだす。
「そのとばっちりが、いつも俺に来るんだよな……。
ちょっと帰りが遅いと、なんだかんだって。飯抜きなんてざらにある」
「そんな、それじゃ……」
あんまりだと思った。こんなまともな先輩が……。
あのトイレで絡んできた連中みたいにグレたっておかしくない。
先輩は一層寂しそうに、ゆっくりと言葉を続けた。
「俺、弟が一人居たんだけど、数年前に事故で亡くなって、それからだった。
家族がぎくしゃくしてきて……。
まぁ、とばっちりっていうか、俺のせいなんだけどさ」
先輩はそう言って、力なく自嘲する。
「先輩のせい……?」
聞いちゃいけないような気がした。
でも、聞かずにはいられなかった。
見たことがないほど苦しげなその顔は、軽く流したら逆に駄目な気がした。
それを察したのか、先輩は乾いた笑いとともに続けてくれた。
「あぁ、公園で一緒に遊んでたときだったんだ。
トイレに行きたくなって、ちょっとその場を離れた隙に道路に飛び出して……」
俺は言葉が出ず、ゆっくりと椅子に腰掛ける。
先輩もつられるようにその場へ座った。
しばらく沈黙が続いた……。
「まぁ!もうちょっとだよな!」
突然、そんな重たい空気を打ち破るように明るく言ってきた。
見ればいつもの先輩らしい顔に戻っている。
これ以上、傷をえぐるような真似はできないと思ったが、
「もうちょっとって……」
「あぁ!高校卒業したら、進学して一人暮らしするんだ」
俺は納得した。
そしたら、辛い家庭環境から少しは解放される。
そうですね!といいながら、どちらからともなく冷めないうちに食べるよう促し、
テーブルの料理に手をつけ始めた。
学校での姿からは想像できない意外な事実。
距離感がぐっと縮まったが、その分どこか不安だった。
先輩は絶対、何かを無理していた気がした。
……。
美味い美味いと絶賛されながら夕飯を食べ終わり、お茶を飲みながらなんてことない世間話をしていると、
「そういやさ、初めてトイレで会ったときなんだけど」
突然、先輩は俺に言ってきた。
「やっぱり前に会ってたんだよな、俺ら」
さらりとした発言に俺は動きが止まる。
「えっ?ど、どこでですか」
「まぁ、正確には一方的かもしれないけど」
ちょっと照れた感じの先輩。
「岡田さ、毎日毎日ずーっと図書室に居るだろ?」
俺はこくりと頷く。
「暗くなって片付けしてるとさ、図書室の明かりで見えてたんだよな、岡田の姿」
思わずドキッとした。
まさか先輩を見ていたことがバレていたのではないかと。
「なんだっけ、あれ。ロミオとジュリエット?みたいな。あんな感じ?」
先輩は笑っているが、俺は笑えない。
「そっちからは暗くてあまり見えないだろうけどなー」
(いや、暗くてもある程度見えてますけど……。
ってか、昼間はじっくり見てましたけど)
そんなこと言えない俺は、必死に笑って流そうとした。
その時だった。俺は「あーっ!!」と声を上げて固まった。
先輩は突然のことにびくりとして、こっちを見ている。
「い、うえ、お……」
「……?なんだよ、それ」
焦って取り繕うが、先輩は怪訝な顔している。
俺は正直に話した。
「いや、今日、図書室に向かってたとき、何か引っかかってたというか……」
「え?」
「なんで、俺がそこに荷物置いてたことを知ってたのかって……。
それがそういう理由だったんだって今気づいて、勝手にすっきりというかなんというか」
なーんだ、そんなことかと言った感じで先輩は笑っていた。
俺と先輩は、互いに互いの場所から見ていた。
たまたま目が合わなかっただけで、そうだったんだと思ったら、思わず顔がにやけそうになった。
それからしばらく、テレビを観たりゲームをしたり。
さっきの暗さなんて微塵も感じないくらい、先輩は楽しげで明るかった。
そんなたわいもないことをして過ごすと、時計は0時近くになっていた。
「そろそろ、寝ましょうか?」
何かと疲れているだろうし、俺はそう提案して自分の部屋へ案内した。
部屋に向かう途中、先輩は
「一緒に寝ようぜ!」
と、懲りずにまたおかしな提案をしてくる。
一体どこまで俺を苦しめたら気が済むのか。
「いーやーでーす」
俺はその一言に全ての意味をこめて、呆れたように返す。
「頼む!いいじゃん!何もしないから!」
(おいおい、男同士で何をしあう気なんだよ……)
と心で突っ込みを入れながら、
「そういって、あんなことやこんなことしてきたのは、ドコノダレデスカ」
そう冷たく突き放すと、先輩はへこんでいた。
くぅーん、と同情を買うような顔でこちらを見つめてくる。
「……っ」
俺の心はその眼差しでまたもや揺らいでいた。
「な、頼むよ……」
腹が立つほど、ドキッとした。
はぁ、とため息を一つ。
俺はどうぞお好きに。とだけ言って部屋へと向かった。
部屋の電気をつけると、ひゃっほーと言いながらベッドへ飛び込む。
「いくつの子供ですか!」
無邪気な行動をとる先輩を見て、突っ込まずには居られなかった。
ほっといたら、枕投げしようぜ!とか言いかねない。
「はは、良いじゃん良いじゃん。お前も突っ立ってないでこっち来いよ!」
ベッドをぽんぽん叩きながら俺を誘う。
正直、これ以上は止めて欲しかった。
俺も「はーいっ!」といって先輩の胸元へ向かって飛び込みたい。
そんなことはできるはずもなく、やれやれと言った感じで電気を消して隣へ移動した。
「もっとそっち詰めてください」
「おう」
さらりと言うと先輩は少し奥へとずれ、俺は最大限距離を開けて背中を向け、ベッドへ横たわった。