書かないと言った手前決まり悪いですが、次の痴漢体験まで、その後のことを書いてみようと思います。
妙な嗜好を植え付けられてしまった私ですが、夏が終わると水着を穿く機会がなくなり、水泳道具一式もどこかへ片付けられてしまったため、欲求の満たされない日々が始まりました。
水着でするあの感じが恋しくなるたび押入れや物置を探りましたが結局見つけられず、次の夏までひたすら想像を逞してくしてオナニーする日々が続きました。
テレビや漫画で目にする水着姿の男女がことごとく妄想の種になりました。
やがて中学で保健の教科書に水着写真を発見すると狂おしいほど劣情をかき立てられ、専ら教科書をオカズにオナニーするようになります。
教材用に撮影された淡泊な写真が、むしろなまめかしく不穏なものに見えていました。
真面目で健全そのものという表情なのに、見られたり触られたりしたら普通ではいられないはずの場所へ、わずかな薄膜を張り付かせただけのあられもない姿。
(すごくエッチな格好なのに…)
半裸の肢体をおしげもなく晒す男女、それを教材として差し出す大人たち、教材用の写真などには見向きもしないであろうクラスメイト…
他人と自分との「水着」に対する認識の差を思い、後ろめたい気分にもなりました。
が、そんな背徳感に興奮も高まり、健全なはずの水着姿でいけない想像をしているという状況そのものが、次第に性欲をかき立てる条件の
一部になっていきました。
幼いながら倒錯を自覚し情けない気分にもなりました。
年近い男女の半裸の写真など当時はそう手に入りませんでしたから、教科書相手に欲情をかき立てられた子は少なからずいたと思うのですが、普通なら異性の身体そのものに関心を向かわせるはずのところで、私の興味は常に水着へ、そしてそれを着用していることが呼び込む性的な危機を妄想することに惹かれていました。
夜な夜な教科書を広げてうつぶせになり、ブリーフの股間を床に擦りつけながら、写真の男女へ想像の中で痴漢を差し向けます。
(この子たちだって、絶対ガマンできないはず…こんなピッタリなパンツで触られたら…)
股間を揉み、くすぐられて、男女とも腰をくねらせる場面を想像しながら果てる日々が続きました。
特にお気に入りだったのは、自分と背格好の似た被写体の男の子が水中でパンツを悪戯されて失禁、その後もしつこく悪戯されて達してしまうという想像でした。
明らかに自分がされたことの投影です。
ときには同級生の競泳パンツ姿を思い出して
(あんなので触られたらあいつも感じちゃうんだろう…腰振っちゃうんだろう…)
と勝手なことを考えたりもしていました。
さほど顔やスタイルのよくない友達でも競泳パンツ姿にはそそられてしまい、彼らには知る由もなかったでしょうが、何度も妄想の犠牲になってもらいました。
業の深いことに、この種の妄想は女子も対象で、スクール水着や競泳水着の、ピチピチのパンツ部分が痴漢されるシーンを何度も想像しオナニーしました。
男女の別なく、水着を穿いたまま性感を送り込まれることに執着があったのです。
やはり自分の経験を投影していたのだと思います。
当時よく想像したシチュエーションは子供っぽい設定で、プールの底や壁から湧き出してきた無数の手(オバケか何か)が水泳中の生徒に襲い掛かるというものでした。
男子も女子も、薄い水着一枚の敏感な部分をまさぐられて、自分がいかに無防備な格好で危険に身を晒しているか思い知らされる――
プールの他にも、腰洗い槽で文字通り腰を洗われるとか、トイレから手が湧いてきて触られるとか、海で海藻や謎の触手に絡みつかれていじくられるとか、色々バリエーションがありました。
不本意な絶頂を強いられるという結末は、密かな願望だったに違いありません。
あるとき、体操服を着たままでいつものオナニーに没頭している最中、
(ぼくも水着で…触られたい…!)
と考えてしまいました。
ゾクゾクッ!と全身を悪寒が走りました。
(やだ、ウソ、触られたくない)
と頭の中で訂正するも、あそこはキュンと締まっていっそう固くなり、ブリーフの弾力や摩擦がより敏感に感じられてきて、腰を止めることができません。
(あ、恥ずかし…っ)
手とつま先でふんばって、それまでにない速度で身体をゆすり、股間を擦りつけました。
ジャージの裏がブリーフ越しの敏感な尖端部を激しく擦りました。ブリーフの弾力的なフィットもあいまってもう歯止めがききません。
写真の男の子の股間と自分の股間とが妄想の中でシンクロし、
(触らないで、そこ、パンツは、ダメ)
などと頭の中で叫びながら悪戯の被害者を演じはじめました。