母方の祖父と祖母はお互い18の時に今で言うできちゃった婚をして私の母を生んだらしい。更に驚くことに、私の父親も母親と19の時にできちゃった婚をしたという。昭和時代にしては珍しかったのかどうかはわからないが、とにかく私の家系の各世代は世間一般と比べてとても若かった。祖父は20の時からボディービルダーを続けていて、今も趣味として続けている。体系は若干太くなったが、全身筋肉質で頭は角刈り、顔は濃い太眉でなかなか端正な顔立ちだった。一方父親は海でライフセーバーを18の時から続けており、体は五輪選手のような見事な水泳体系で顔は石原軍団にいそうな俳優顔の男前である。祖父はわからないが、父は少年時代から多くの女性に好意を寄せられていたらしく、母も認めるほどモテモテだったらしい。父方の祖父と祖母は私が生まれた時にはすでに他界しており、母方の祖母は私が5歳の時にがんで他界した。それからは祖父と父と母、そして私の4人で一緒に暮らすことになった。
これは私が小学2年のとき、父は26歳、祖父が44歳の時の実際に体験した出来事です。
その年の7月は猛暑だった。私は待ちに待った夏休みで毎日のように家の近くの海に遊びに行っていた。友達と行くこともあったが、なにより祖父と遊ぶのが楽しかった記憶がある。その頃は現代と違い、水着や下着は小さければ小さいほど良いというのが一般の認識だったため、海にいる女性も男性も、非常に小さくて露出の多い水着を身につけていた。
もちろんボディビルをやっている祖父もビキニブリーフのような水着でたくましい肉体美を披露しながら私と泳いだり、砂浜で砂遊びをしたりしてくれた。私が砂の城を作っていると、急に大きな影が私の体にかかった。振り返ると極小の赤いブーメラン型水着を穿いた父が笑顔で私を見下ろしている。
父「またおじいちゃんにお城つくってもらってるのか?」
祖父「心配しなくていいぞ。雄也は俺が面倒見とくから。パトロールの最中なんだろ?」
父「ほんといつもすいません。雄也、おじいちゃんを困らせるようなことはするなよ。」
そういった感じで、父と祖父が話していたのを覚えている。ジムで鍛えられた筋肉と、海で鍛え上げられた筋肉を身にまとった男前が、小さい水着をつけたまま向かい合って話している。わたしは二人の股間をなぜだかじっと見つめていた。周囲を通り過ぎていく人も二人のほうをチラチラと見ている。それほど魅力的な存在だったのだろう。
8月に入ってからは父のライフセーバーとしての活動が忙しくなりと本業とも相まって、休みがほとんどなくなっていた。それでも父は毎晩遅くまで祖父との晩酌に付き合っており、床に就くのは夜中の2時、3時であった。
晩酌の声が聞こえては眠れないとのことで母と私は2階の寝室で、父と祖父は1階の6畳間で布団を並べて寝ている。
ある晩、私は翌日に控えた友達と遠方への旅行が楽しみで寝つけずにいた。羊の数を500くらいまで数えてもどうしても寝つけず、しかたなく1階におりて晩酌している父たちのところへ行こうとしたが、父が早出のため晩酌は早めに打ち切られ、すでに消灯していた。
暗くなった居間の座布団に座りこんでしばらくしてから、やはり眠れないのでなんとはなしに父たちが寝ている6畳間へ足音を立てずに近づくと、ふすまが15センチほど空いていた。その隙間から、叔父が横向きで寝ているのが、さらにその向こうに父が仰向けで眠っているのが見えた。猛暑の夏の夜なので、布団や肌掛けはもちろん使っておらず、扇風機が首ふりでつけられている。父は短パンにタンクトップ、祖父はビキニブリーフに袖なしのシャツを着ていて、祖父が父の方に顔を向けている(つまり私の方に背中を向けている状態)。さすがに起こすわけにもいかず部屋へ戻ろうとしていると、父の声が聞こえた。
父「あしたは早出なので@@@@@してください御父さん。」
最初は私に向かって言っているのかと思ったが、父は相変わらず仰向けで目を閉じている。
そのとき気が付いたのだが、やけに父親と祖父の寝ている距離が近いのだ。そしてさらによく見ると祖父の腕が動いている、そしてその腕は父のタンクトップの中にあることに気が付いた。
私はなにが起きているのかわからないが 、急に心臓の鼓動がはやくなり下半身がむずむずしてその場に立っていることができなくなってしまった。しかしなぜか自分の存在を知られてはいけないと感じたのか、静かに、ゆっくりとふすまの脇に腰を下ろし、その光景を覗き見ようとしていた。すると再び父が
父「おとうさん、かんべんしてください・・・・」
と小声でつぶやいたのが聞こえた。
祖父「ちょっとだけだ・・」
祖父が答えると祖父の腕が父の短パンにかけられ、一気に下までずり下ろした。
父も祖父と同じような紺のビキニブリーフをはいていて、股間のふくらみがいやらしかったが、勃起はしていないようだった。次の瞬間祖父が黒のビキニブリーフを纏ったたくましい尻を揺らしながら父の上に覆いかぶさり、顔を父の耳元に寄せる。父は口を少しだけ開いて吐息を漏らす。上に乗っている祖父が腰を少し動かすたびに、二人は同時に
父・祖父「ハッ・・・・ハッ・・・・ハッ・・・・」
と強く息を吐いている。父はゆっくりと腕を祖父の分厚い背中に回し、さらにその手は祖父の鍛え上げられて盛り上がった二つの尻を、黒のビキニブリーフ越しに揉むように抱きしめている。まるで祖父の尻を押し込み、互いの股間をこすりつけ合うようにしながら、徐々に二人の揺れが早まっていく。
父「ああ・・・・・・ハッ・・・・・いい・・・ハッ」
父がそう呟いた瞬間祖父が父の顔を引き寄せ唇を奪った。
二人の鼻での息遣いとチュパ・・・クチュというような音、そして下半身のビキニブリーフ同士がこすれ合う音が聞こえる。わたしの股間は今までにないほど熱くなっており、私はなぜか自分の性器を強くにぎりしめていた。
二人は糸を引きながら唇の接合を解き、互いに見つめ合っていながらも股間の摩擦は止まらない。父の目はトロンとしていて、ぼーっとした顔で祖父を見つめている。しばらくパンツ越しの擦り合いが続いた後、今度は父が祖父の顔を引き寄せて舌を祖父の唇に挿入した。昭和世代を代表するような男前が融合してく様を見て私の心臓は破裂してしまいそうなほどの鼓動でなっている。チュパ・・・チュパと音を鳴らし、ときどきゴクリと相手の体液を飲み込む音が聞こえる。驚くほど熱いフレンチキスが終わり突然祖父は起き上がり自分のカチカチになったものをブリーフから取り出すと、父のブリーフの脇(太ももの付け根)から父の股間のふくらみの中へそれを挿入したではないか。そして膝立ちで腰をいやらしく降り始めた。父のブリーフはなぜかびしょびしょに濡れていて、一つのパンツの中で二つの大人の固くなった性器がクチュクチュとこすれ合っている。祖父は腰に両手をあてて一心不乱に腰を振り、自分の性器を父のブリーフの中へ押し込んでいる。毎日のように海にいっているのでビルダーパンツのような日焼けの後がいやらしかった。一枚のブリーフはパンパンに膨れ上がっていて、まるで二本の大蛇が収まっているようだった。父は口を半開きにしながら腰をくねらせたり片手で祖父の尻の山を揉んだりしている。二人は小さく吐息を吐いたり喘いだりしていた。
父・祖父「・・・・・ンッ・・・・クッ・・・・ハッ・・・アア・・」
祖父の手が再び父のタンクトップの裾をつかみ、徐々にタンクトップを捲り上げて二つの逞しい胸筋を露出させる。祖父はを腰を振りながら父の乳頭を片手の指でやさしくこすりあげる。父も自分から腰を振り出し、二人の吐く息はどんどん早くなっていった。そして
父・祖父「ハッ・・ハッ・・・・・ハッ・・ハッ・・・!アッ・アッッッ・・・・」
父が先に大き目の声を上げて腰を痙攣したように振ると動かなくなった。続いて祖父が腰をとても大きく数回振ると、父の上に覆いかぶさって動かなくなった。二人はまたしても唇と唇を重ね合い、ネチャ・・・・ヌチャ・・・と目を閉じて互いの唾液を交換している。父・祖父「ンンン・・・・ンン」
と喘ぐような声をお互い上げながら、互いの尻を撫で、揉んでいた。
しばらくしてから祖父が父にパンツとズボンを穿かせ、祖父自身も肌掛けをかけて寝てしまった。自分はゆっくりと部屋へ戻りそのまま寝てしまったらしく、朝目覚めるとすでに友達が私の家に迎えに来てくれていた。
友達「雄也〜!はやくしろよ〜」
私は友達にあやまりながら、急いで着替えて朝食を食べに居間へ行った。すでに父は仕事にいっているらしく祖父が袖なしシャツに短パンをはいて横になりながらテレビを見ている。私は祖父の尻をジーっと見ていたらしく、
母「なにおじいちゃんをジーと見てるの?早くいきなさい!」
と母につっこまれてしまった。
あの日を境に私の性欲の向かう先は異性ではなく同性、しかも父たちのようなたくしましい体をした男前な顔立ちの男性・・・になってしまった。
あれから約13年、私は大学を卒業し無事就職してサラリーマンになっている。母は昨年他界し、父と祖父と私で一緒にすんでいる。私の趣味はライフセービングと筋力トレーニングで顔は父の顔を継いだといえば継いだのだろうか?
体つきはまずまずであるが、父にはすでに昔の俺を超えたといってもらえた。父は39歳、祖父57歳で二人とも元気である。あの日以来二人の行為をときどき覗いていたが、いつの日からか、私が覗いているのがばれたのか、そういったことは行われなくなった。
それでも父も祖父も相変わらず肉体のトレーニングと維持は続けており、もちろん当時と比べると随分筋肉は減ったが、いまだに服を着ていてもたくましいのがわかる。
私の性的嗜好を変えてしまったのは父たちが原因であると決めつけてしまい、青春時代は苦しむことも多く父たちを恨んだこともあったが、今では一生懸命育て、愛してくれた父たちに感謝している。もう数年して自分に納得のいく体つきになったら、晩酌のあと、せめてもの恩返しとして父と祖父を喜ばせてやりたいと思う。