隼人と俺は、俺の最寄り駅に降り立った。ここから俺の家までは徒歩で10分ほど歩かないといけない。
「ここからちょっと遠いけど、いい?」
俺がそう言うと隼人は笑ってうなずいてくれた。その笑顔といったら・・・・・・とてもきれいだった。こんな笑顔を向けられるとどんな女の子もいちころだろう。その笑顔で俺さえもどきっとさせられるときがある。俺たち二人は歩きだした。
「いやあ、実はさ、今自転車壊れててさ」
「そうなんだ。本当は自転車で通ってんだ?」
「うーん・・・・・・2ヶ月ほど前まではね」
「・・・・・・え? どういう意味?」
すると俺はなんだか急に恥ずかしさがこみ上げてきて頭をかいた。
「自転車壊れたの、2ヶ月前なんだ」
「え、それって・・・・・・壊れたきりなおしてないってこと」
「まあ、そういうこと」
「へえ、意外」
「なにがさ?」
「翼はきっちりしてるのかなと思ってたのに」
「おいおい、ただの一度だけで印象って変わるもんなの?忙しかっただけだよ!」
「どうだか」
「ホントだって!まずな、部活は毎日・・・・・・」
そんな会話をしながら俺の家まで足を進めていた。
その道中、ふと話題が途切れた瞬間があった。俺が気にしすぎなのか、この瞬間がいつも気まずくてしかたがない。気まずいと思うのは何か変なことを期待している自分がいるということでもある。それを知ってか知らずか、隼人はふと立ち止まると、俺の肩を抱いて正面に向き直った。ぎこちなく隼人の少し恥ずかしそうな顔が近づいてきて、最後には隼人の唇と俺の唇が触れた。場所は片方が田んぼでもう片方が線路というへんぴなところだった。唇が離れるまで、とても長いような感覚がした。やっと離れたかと思うと、隼人の顔は、なんともばつが悪そうな、照れ笑いを隠した表情だった。
「・・・・・・っておい!ここ俺の地元だぞ!だれか知ってる人に見られたらどうするんだよ!」
すると隼人は道の左右を見わたした後、
「大丈夫だよ。ほら、だれもいないじゃん」
と言って、にっ、と笑った。
憎たらしいのか調子がいいのか、俺は肩を落として、はぁとため息をついた。
そしてまた歩きだした。家まではもうすぐそこだった。
俺の家は住宅地の中に立つ分譲マンションの一部屋だった。俺の家は505号室で、5階の丁度真ん中辺りだった。家に着いたころにはすっかり日も暮れていて、俺がドアを開けると、玄関のだいだい色の明るい光が外にまで溢れた。
「ただいまぁ〜」
俺がそう言うと、渡り廊下の先にあるリビングから母さんが顔を出して「おかえりぃ〜」と俺と一緒の口調で答えた。そして俺の後ろに隼人の姿が見えると、母さんはぱっと姿勢を正してよそ行きの対応になった。
「あら、お友達?」母さんがそう言うと、隼人はやけに小さくなって言った。
「宮崎と言います・・・・・・あのう、お邪魔します・・・・・・」
すると母さんは笑顔で「はーい」と言って台所に消えた。
俺は隼人を覗き込んだ。じっと見られて恥ずかしかったのか、ちょっとぶっきらぼうに言った。
「な、なんだよ」
俺は笑った。
「俺にもそんなおしとやかに接してくれたらなぁ」
「おしとやかな俺のほうがいいわけ?」
「うーん、どっちでもいいや」
「なんだよ、自分からふっといて」
隼人と俺は靴を脱いで家の中に入った。俺の部屋は玄関から一番近い部屋だった。隼人を先に通して、俺は入る間際にリビングに向かって母さんに叫んだ。
「晩御飯、友達の分もよろしくー」
「はーい」
「へぇー」
俺の部屋を見た隼人が言った。俺は制服のブレザーをハンガーにかけて部屋のフックに吊るした。
「翼らしい部屋だ」
「俺らしいってどんなだよ」
「なんだろう、片付いてるって言うか、無駄がないって言うか、冷たいって言うか?」
「おいおい、なんかだんだん評価さがってね?」
俺が顔をしかめてそういうと隼人は笑った。でも改めて自分の部屋を見ると、確かに面白味に欠ける部屋だった。隼人に言われたとおり、無駄が一切ない部屋だった。俺は特に趣味という趣味がないから、フィギュアだとか模型だとかいった類の飾り物も何もなかった。あるのは生活必需品だけ。勉強机とパイプベッド、小さな本棚にその上に小さなコンポが置かれていた。部屋にあるのはそんなものだった。
「まあ、制服そこにかけて楽にして」
「あ、ああ、ありがとう」
そうこうしている内に母さんから晩御飯ができたと呼び声がかかって、俺は隼人を連れてリビングへ行った。
母さんと対面した隼人はそこでもう一度丁寧に挨拶した。そのあまりの丁寧さに、母さんは笑いながら俺を横目にして、
「まあまあ、そんなご丁寧に。うちの子はよそのお宅へ行ってそんな挨拶ができるのかしらね」なんてチクリと攻撃をしてきた。とばっちりを受けた俺は横の隼人を睨んだ。すると隼人もその意味がわかったのか、ごめんと小声で謝りながら苦笑いに似た笑みを浮かべた。
リビングには弟がソファに座ってテレビを見ていたが、リビングに隼人を連れた俺が現れたら、ソファの背にもたれかかって隼人の顔をまじまじと見た。俺の弟は中学1年生で、俺と丁度3歳年が離れている。そんな弟にも隼人は「こんばんは」と丁寧に自己紹介を含めた挨拶をした。
食事は四人掛けのテーブルで摂った。俺の前に母さんが座ってその横に弟、俺の横に隼人が座った。隼人が俺の家族と仲良くなるのにそんなに時間がかからなかった。隼人は人見知りをするほうじゃなかったし、その丁寧な口調と相手の会話をうまく汲み取る能力にとても長けていたからだった。母さんは隼人に質問をして、隼人の完璧な答えを聞くと、よく俺のことをひきあいにして、翼はああだの、こうだのと俺のダメなところをどんどんと言ってのける。そのたびに俺はテーブルの下で隼人のわき腹を小突いた。弟も隼人との一回の食事で気に入ったみたいで、うちの家族は俺よりも隼人のことが気になってしかたがないようだった。そして母さんが言った。
「宮崎くんってきれいな顔立ちしてるわねぇ。ご両親は何をされてるの?」
「え?ああ、はい・・・・・・普通の一般人ですよ。父も母も働いて共働きなんです」
「そうなの、じゃあ・・・・・・」
会話はその後も続いたが、俺は隼人の微妙な変化に気づいた、気がした。
親の話題を出された瞬間、ちょっと挙動不審というか、そわそわしだした感じがしたのだ。でもそれは俺の気のせいで、その後も楽しい会話は続いた。
晩飯を終えて二人は俺の部屋に戻った。
時間はまだ7時を少し過ぎた頃だった。
俺は勉強机の椅子に座って、隼人は床においているクッションに座った。隼人が言った。
「楽しい家族だね」
俺は後頭部で腕を組んで、ちょっとふてくされるようにして言った。
「はーあ、隼人ばっかちやほやされるんだもんなぁ」
「ごめん」隼人はばつが悪そうにこめかみをかいた。
「俺が小突いてるのも気づいてるくせにさぁ、無視するし」
「いや、だからごめん・・・・・・」
「なーんか俺なんか抜きで3人で楽しんじゃってるし」
「だからごめんってぇ」
隼人は俺の攻めにとうとう耐え切れなくなって立ち上がると、俺を後ろから抱きしめてきた。
「あまりにもいい人たちだったんだもん。翼のお母さんはさすが翼のお母さん、って感じだったし、それに宏平(コウヘイ:弟)くんも」
俺は隼人を無視して作業をした。
「そんなにふてくされるなよぉ、なあなあ」
すると隼人は俺と椅子の背凭れの間に入り込んできた。
「ちょっと狭苦しいんだけど。俺明日までにしなきゃならない宿題あるし」
「あれぇ、翼くんそんなにすねるヤツだった?」
「うるさいなあ、もう!」
するといきなりわき腹をくすぐられて笑わずにはいられなかった。
「ちょ、お前!何やってんだよ!」
笑いの間からなんとかそれだけを言った。
しばらくするとくすぐりもなくなって、隼人が俺の顔をのぞきこみながら言った。
「・・・・・・気分、なおった?」
「・・・・・・さあ」俺はつんと突っ張った。なぜだか隼人の前では素直にいられない。
すると隼人は俺の頬に触れると、そっと隼人の方を向かせて、やさしくキスをしてくれた。相変わらず隼人の唇はみずみずしくて柔らかかった。軽いキスを連続でしてじらすあたりも意地悪だった。そして、決め手はこの一言だった。いつもより低い大人びた、真面目な雰囲気をかもし出す声で、隼人は「やってもいい?」と耳元でささやいた。俺の体はその言葉に反応して、急激に熱を持つのがわかった。もしかしたら顔も赤くなっていたのかもしれない。そして俺は恥ずかしくて言った。
「ふ、普通、そんなのって相手に聞くか?」
すると隼人は「そうだね」とやさしく笑うだけだった。