▼テルミットさん:
発展場通い!の善し悪しは置いとくとして。
性病感染の確率の危険性もさることながら、発展場に足を運ぶひとたちには、
どうしても「刹那的」な自堕落の姿勢が見え隠れしているように思うのは
私だけでしょうか?
刹那"
「きわめて短い時間・瞬間」と掲載されています。
"刹那主義"という言葉には、
「過去も将来も考えず、現在の瞬間の感情のままに生きようとする考え方」
つまり「今が楽しければそれでいい」といった退廃的な意味があります。
多くの人間はこの刹那主義的に人生を過ごしているのではないでしょうか?
私もどちらかというと刹那主義的な人間だと思っています。
しかし、刹那主義的な人生が良いとは思わない事が私の中にあるのも事実です。
辛い事や悲しい事や嫌な事、苦労や挫折してこそ成長し、又悟るものがあると思うからです。
人間はそういった事を頭では理解しているのだけれど、実際にはそうではないのが悲しい現実
なのです。
あくまでも私見なのでそうではない考え方があるのでしょうが、そこは置いておいて下さい。
私が生きている現在には教育が普及していて、当たり前のように学校を卒業してきました。
学歴社会、競争社会といった悲しい現実もある訳ですが・・・。
そして社会人になって会社で仕事をこなす。
いつか結婚して家庭をつくり、運命という名の寿命を迎えて生を終える。
それが普通の生き方であり、素晴らしい事なのかもしれませんが時々不安に思うのです。
安定した生活環境に浸かって、見せ掛けの安心を手にしている自分にそれで良いのかって疑問
を抱くのです。又、とても辛い時や苦しい時には刹那的な安らぎに逃げ場を探して、忘れよう
とする事を優先しようとしてしまいます。
感情に任せて生きるという事は楽だけど、目先の幸福やその場限りの快楽に身を委ねた所で
未来への解決には何も事を成していないと思う。
その刹那な時間が過ぎてしまえば何もかも変化していない現実に戻る訳なのだから。
結局、"現実を受け入れる"という事が重要な要素なのではないだろうか。
"現実を受け入れる"と口で言う事は簡単に出来ますが、人間は弱くて脆い生物であって中々そ
れが出来ません。
"現実を受け入れる"という事は、事実や存在等を認めるという事で、
つまり"現実にある物事"を「ある」と認める事なのです。
"現実を受け入れる"事が大切なのは既に述べた通りで、現実を拒否する事は前向きな考え方が
出来ないという事なのです。
つまり、思考がそこで停止してしまい、成長も又停止してしまい
ます。
現実を受け入れられずに刹那に生きるという事は、その人の弱さなのではないでしょうか。
"刹那"という言葉の反対に"劫"という言葉があり、極めて長い時間という意味です
たった一瞬の幸福も無駄ではありませんが、遠い未来の事を考えて全てを受け入れる事も大切な事です。
誰しも楽な人生を過ごしたいのは当然の考え方かもしれませんが、
人間として生を受けたのだから、常に前進し成長して行きたいものです。
人類が誕生してから現在まで、歴史が物語っているように争いごとは絶え間なく起こっています
が、こうして発展し、色々な事が出来る時代になったのは人類が成長をしてきたからだと思います。
大袈裟な言い方かもしれませんが、我々一人一人が現実を受け入れ日々成長する事
が自分自身の向上と、次世代へと繋がっていくのではないでしょうか。