▼質問君さん:
>皆さんはゲイとして一番辛く耐えきれない事って?
ゲイとして自分らしく生きるのことが大切です。
ゲイに限らず、人生はつらいものなのです。
そこで!!
例えば、
ゲイリブ行動を見ると、なんだか自分が責められているような気がしてくる。
ゲイパレードなどで世の中騒がれると、困った気持ちになる。
一生懸命隠れて生活している自分が暴かれるのではないかと不安になる。
同時にパレードなどに自ら殻を破って参加している人などを見ていると、
いいなと思う気持ちもある。でも自分には出来る訳が無いと思う。
何もしないでいる自分を振り返ると、なぜか責められているような気になってくる。
距離をおきたくなる、人によってはそんな自己を立たせるためにゲイリブ批判をする、
嫌悪感を感じる。さらにゲイフォビアにまで発展、間接的にも加担していく可能性もある。
息苦しい社会を自らが後押ししていく。
「責められる・・」という!煮え切らない焦燥感というか!虚無感というか!
クローゼットでいるしかないと思うような抜き差しなら無い事情もよく分かっている。
この問題は責める責められる、良い悪いの話なんかではない。
本当に辛く苦しいことだ。
そのように承知しながらも、それでも俺は、
「これからも隠れていくのか?」と問い続けると思う。
隠れゲイとしてうまく生きていくための知恵を書くつもりは無い。
うまく自分らしく生きていけれるように「生き方を少しずつ考え直してみないか?」
と説いていくだろう。
ゲイは社会の中で相当な自己矛盾と戦って生きている。
その苦労は並み大抵ではないよね。
それを強いる社会がおかしいのだけれど、それぞれ個人の問題としてのみ捉えさせられ、
仕方なく個人個人の一人の中で自分の中に本当の自分を押さえ込んで生きている。
なぜ、自分は自分らしく生きていくことは出来ないのだろうと思いながらも、
今まで社会においてヘテロとして何とか格好をつけ生きてきた自分もあり、
それで築き上げた人間関係もあるから身動き出来ない。
そんな時を過ごしながら気がつけば、隠れた自分が本当の自分になってしまう。
どこかで軌道修正できればいいのだけれど、こうなってくると本当に難しい。
俺の場合でも、勤め先でカミングアウトしたのは23歳のころ。
そろそろ言っても良い頃かと模索しながら時期を探し、そこから軌道修正していった。
始めてしまえば何とかなるものだったが、まずはの一言を発するまでは相当な覚悟が必要だった。
アウトした今でも次々出会う全員に言ってまわる訳でもないから
ヘテロと決めつけて会話してくる人もいる。アウトしたらしたで面倒なこともある。
でも自分を偽っていない生き方が出来始めていることへの替え難い喜びと自信がある。
これからの僕たち若い人では、初めから自分を偽らずに社会に出て行く人も多くなっていくだろう。
いつかは軌道修正したいなって思う人についても、社会が何時からでも切り替えを
受け入られる環境になっていって欲しいと思う。
多くのクローゼットなゲイは「人間には多様な面があるものだ」と、
その場の自己解決をして取り繕いつつ、自己を殺して生きていっているのだ。
本当に生きていくっていとおしいと思う。
だから、そんな大変な境遇の中でも、自分を見つめ 心の自分と会話し、
そして頑張って自己矛盾を解決していこうと思いたち、
殻を破って挑戦し始める人の姿、その過程を見ると・・・
本当に感動するんだ。
ごめん!ついセンチメンタルになっちゃって。