▼B型さん:
>よくここの掲示板で聞く「染まってない人」とはどういう人のことでしょうか?
ゲイ(ホモ)でありながら、ホモを忌避(嫌がる)する。ホモフォビアの側面が
隠されている人であるかもしれませんね。
これは、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアルの人たちにとって、生きることの欲望を否定してしまうような見過ごすことのできない
問題がはらんでいると
僕は思います。(少し大げさかな!)
僕自身の経験からすると、
「同性愛みたい、といじめられたことがある/からかわれたことのある」人は多いはず。
さらに、「そういう場に居合わせたことのある人」はもっと多いはず。
異性が好きな人たちも、ホモフォビアの影を怖れているのではないでしょうか?
ホモフォビアには「内なるホモフォビア」と「外なるホモフォビア」の2つが存在すると僕常々は思っています。
ホモフォビアの内面をえぐり出すと、次のようなことが分ってきます。
世間で言われる「同性愛っぽい」に、自分自身が該当していることに気づいたとき。
「自分は同性愛なんて変態じゃないんだ!」
「こんな人間、自分一人だったらどうしよう」
「人間のクズかもしれない。生きていていいのかなぁ。」
などなど、自己否定や、そんな自分の感情に価値を見出せなくなることがあります。
ましてや「同性愛っぽい」気持ちが、とても大切だったり、自分ではどうしようもなかったりすると、それは深刻な事態となります。
これが、性的マイノリティーを苦しめる「内なるホモフォビア」です。
同性愛っぽい面を持っている人が「自分はそんな変な人間じゃないんだ」と証明しなければ、落ち着かないとき。他の「同性愛っぽい」人を攻撃するのも「内なるホモフォビア」の表れだったりします。
「外なるホモフォビア」というのは、
性的少数者以外の人から性的少数者に対して偏見の目で見られることです。
「あの人、ホモ(レズ)なんだってよ」とか「あの子、オカマみたいね」とか「女のクセに男みたい」などという言葉を投げつけられることです。
性的マイノリティのひとが、このような言葉が耳に入ってきたときにどのように感じるか、あなたは考えたことがありますか?
社会からの刷り込み故に「自分はオカシイんじゃないか?」とココロを蝕む「内なるホモフォビア」。
自然に振まいたいだけなのに、自分を出した瞬間叩かれてしまうような「外なるホモフォビア。」
染まっていないと標榜している人たちよ!「自分は傷ついている」と感じたら、ホモフォビアがない世界を想像してみましょう。
そして、「自分は傷ついていない」と感じたら、常にホモフォビアにさらされる日常を想像してみて下さい。
ゲイであることを、なにもカミングアウトすることを奨励するのではありませんが、しかし
自己の尊厳を守る意味でも、自分自身のセクシャリテイーに正面から向き合い、
自己欺瞞に陥らないために
自戒を込めて、
ホモフォビアという呪縛から解放されることを
日々願わずにはいられません。