なにがあったかわからないけど…
自分は、「生きる」ってことはとても難しいことだと思う。だからこそ「なんで自分は生きているんだろう?」って考えなきゃいけない。つまり僕たちは「生きている理由」を見つけるために「生きている」んだと思う。
最近「自分がなんのために生きているのか解らなくなった」っていう人が多いと思う。それが最悪「死」に至る人もいる。でもよく考えるとそれって「生きる理由」で「死んでいる」ってことじゃないかな…?
まぁ最悪、100歳になっても「答え」は見つからないかもしれないけど、何かが残っているんじゃないかな?
死んだ後の気持ちなんて誰にも解らないだろうけど、なにかについて「考える」って行為ができなる事は確かだよね。脳の機能が停止してしまうんだもん。好きな人のこと、いつも一緒にいてくれた友達、家族、おいしいご飯を食べる、お風呂につかる、大好きな歌を歌う、聴く……そんな事が出来なくなるなんて、あまりにも悲しい事だと思う。想像すら出来ないけど、僕はまだまだ「考える」「思う」「行動する」っていうことをいっぱいしたいな。
辛いこともいっぱいあるよ。僕にだって。「辛いのは自分だけじゃないんだよ…」て言われても「だから何?」って思うしw そうやって感傷にひたっている自分が大好きだったり。「誰かに同情してほしい」「どうしたの?って声かけてほしい」「なぐさめてほしい」……でも自分のなかのどっかでそれを拒否してしまう…なんでだろう。「自分の世界に入ってこないで」「悲しいのは自分ひとりだけなんだから」「あんたにはこの辛さわからないよ」「どーせ他人事でしょ?」って思う(天の邪鬼だよねーw)
でもそれもそれでいいんじゃないかな?結局は「自分を落ち着かせてる」ワケだし。「本当の自分」なんてひとつだけじゃない。家族といるときの自分、友達とバカしてる時の自分、ゲイ友と会ってるときの自分、悲しみにふけている自分……どれも「自分」なんだよね。きっと。
僕はそーゆーふうに考える。そして一時的な感情で何かを決めたりしないようにしている。ちなみに、自分はなんの宗教にも入ってませんw でも鬱持ちですw
長々とスイマセンでした。