▼マロンさん:
暗いのではなく、現実逃避と自己陶酔、ならびに自己過信の塊だと思います。
輪廻などという言葉に振り回されてる程度の定められた運命なら、よほど自分自身の精神力が貧弱で脆弱に生まれてきたのでしょう。
どこかで道を間違えたなら、正せばいいでしょう。
適当な反応しかしない人間には、適当な人間しか近づかないでしょう。
運命は、自分で切り開くものだと思います。努力もせずに、諦めるなら、それが天命なのではないでしょうか。
ストレスがたまるのは、自分に包容力と、見識、ならびに判断力や自制心がかけており、全体的に幼稚なせいだと思います。
群れている、という表現が適切ではありません。もともと、人間は知能が進化した結果、集団でなくては生きられない生物になっています。もし、一人で生きていくのなら、土地を自分で開墾し、自ら糸をつむぎ服を作り、自分ですべての道具をつくり、自分で食べ物を確保してみてはいかがでしょうか。何一つ自分で出来ることが出来ていないのは貴方たちでしょう。クソガキ等という言葉は、そのままあなた方に返しましょう。自分がおかしい?のではなく、自分が幼稚だということに気付かれるべきです。
個人一人一人でいきる。本当にできるなら、やってみればいい。確実に出来ないでしょう。家族が近くにいれば、家賃を払うのも、食事をつくるのもすべて家庭ではないですか。
知能遅れ、何を言っているのでしょうか。いったいどれが標準で、どれが最低水準かもわからない現代において、何から”遅れている”のでしょう。あなた方ですか?ご自分たちでわかりませんか?それが”傲慢”ということが。
自らの最も恐れるべきは、山月記などに記されている”臆病な自尊心と、尊大な羞恥心”ではないでしょうか。自らの才能を信じ、あたかも自分が何でも知り、周囲よりも優れている、または周囲が劣っている。しかし、そのような人間の中に入り、自らの才能を示すことはしないのは、恐れているからだと思います。また、もともと、そのような会話自体が恥ずかしいものであることに気付かず、ただただ、肥大した羞恥心があるのみなのも問題だと思います。
もう少し、自分を湾曲していない鏡で見るべきではないでしょうか。そのうえで、表面上の事実を見るのではなく、より深い思慮を身に付けるべきと思います。