▼蝸牛の影さん:
誰にカミングアウトするか、誰にカミングアウトしないかは、自分で決めるものです。厳しいようですが、これがカミングアウトの前提条件なのです。カミングアウトして、相手との関係が今まで以上に親密になることもあれば、相手のホモフォビア(同性愛嫌悪)が強すぎて関係が壊れることもあります。カミングアウトの結果の責任をとってくれるのは、自分自身だけなのです。
カミングアウトをするべきか、するべきではないかという議論には、実はあまり意味はありません。自分の生活圏の中で自分が同性愛者でいられる空間をどれだけ作りたいのか、誰と作りたいのか、ということが重要なのです。その答えは一つではなく、同性愛者の数だけあります。そして、その一人一人の答えは、固定しているわけではなく、それぞれの人生の揺らぎと共に、常に変化しているものなのです。
例えば、皆にカミングアウトしていると言う人だって、旅行先で偶然入ったコンビニの店員や、五年に一回ぐらいしか会わなくて名前も知らない遠い親戚や、雑誌の懸賞に応募したハガキを読む人にまでカミングアウトしているわけではないでしょう?
つまり、そういうことなのです。誰にいつカミングアウトをするか、または誰にカミングアウトしないのかを決める権利は、その当事者だけが持つものであり、誰かに強要された時点で、差別されたことになるのです。
長くなりましたが、あなたにとって「大切な人」にはカミングアウトしてもいいのかもしれないし、「どうでもいい人」にはしなくてもいいんじゃないかと思います。結局、「大切な人」と「どうでもいい人」の線引きを自分で決めるしかない、ということですね。