▼マロンさん:
名指しということでしたので、正直に私の思ったことを率直に申し上げます。
まず、友達って何でしょうか。信じるって何でしょうか。私は、甘えることが友達であるとは思いません。私は、信じることが友達だとは思いません。
人に必要とされるとき、人から信頼される時、確実に必要なものは何か。私は、どれだけ毅然としているか、尚且つ努力して手にした確実な能力があるか。というものだと思います。現在、友達 という言葉が随分と乱用されると同時に、その質の低下たるや恐ろしいものがあると思います。友達は、やはり間違いは間違い、いやなものはいや。しっかり自分の意見を相手に伝えることの出来る立場であることが理想だと思いますし、私もその理想に近づきたいと思っています。始めのうちは『うざい』と言われていたのですが、高校3年生になった今では、やっと理解してくれた友達がいてくれたのと、中学生の時からの友達と、決して多いわけでは有りませんが気兼ねなく遊ぶことが出来ますし、気を使う必要性が低いということは、ある意味ではとても危険です。でも、とても安心できることもまた事実です。
ただし、お互いに甘えているわけではありません。友達でなくなる恐怖もお互い無いと思います。特に仲のいい友達のグループは本当にそれぞれ別の進路を取っています。一人は居酒屋で正社員に(中卒です)、一人は高校で就職活動中、私は薬学部目指して勉強、一人は高等専門学校へ、そしてもう一人は実家で働いています。何でこんなに環境が違うのに気が合うのか。お互いに、お互いを理解しようと考えたり、なにが本当の優しさなのか、本当の恥とは何かをよくよく知っているからだと思います。
一人でいることは確かに寂しいかもしれません。でも、簡単に人を傷つける程度のメンタリティしかない人とあえて付き合う必要性もあまり感じません。でも、努力は必要です。自分に自信をしっかり持つこと、そして、どのようなことを言われても自分にとって本当に恥ずべきことでないのなら毅然とした態度をとる。これは、孤独ではなく、孤高なのだと思います。
ただ、泣かないことは強さではありません。でも、泣くのならば、あまり周りに人がいないところでするべきかもしれません。人前で泣くということがどういうことなのか、どういう感情を与えるのか、そして、どのような周囲への迷惑があるのか。それは、考えていただきたいと思います。でも、泣くということは心が綺麗になると思います。尚且つ、泣いて心のしこりが取れる場合もありますから、一人でなく分には別段何の問題も無いのではないでしょうか。
一緒にいたいとお考えなら、妥協するのはおやめになったほうがいいと思います。もっと毅然と、ご自身に自信を持てるように努力なさって、確固たる価値観をお持ちください。貴方は決して一人ではありません。そして、ここの掲示板に投稿したこと自体は大変素晴らしい前進なのではないでしょうか。是非、前進を止めずに、自体を好転させるようつとめてください。 JING