君の悩みの投稿を拝見して、ぶざまな自分の人生と照らしあわせて「はっと!」しました。
私がゲイであるがゆえの人生での障壁になぜ、周りの者たちがスイスイ進んでゆくところを、自分ひとりだけ転倒するのか?なぜ、こんなに他人とうまくいかず、なぜ、こんなにも生きかたが下手で、要領悪く生きるのが不器用なのか?そしてこんなにも自分が嫌いなのか? そして他人はもっと嫌いなのか? なぜ自分をふくめた人間の嫌なところばかり見えてしまうのか?
つまり、なぜこんなにも「生きるのが困難なのか」
考えれば考えるほど、その根は深くますます憂鬱になってしまいます。
生きるのが困難な君をふくめた多くのひとたち!
綺麗ごとではなく。あきれるほど苦労し続けてどうにか生きている私のような者が生息していることを知って「自信」を持ってもらいたい。
自分のほうがはるかにましだと「自信」を持ってもらいたい。
あるいは、逆に私の苦労など自分の苦しみに比べれば蚊が刺したようなものだとせせら笑う君ならば、こころゆくまでせせら笑った後で、その困難に全身で立ち向かってもらいたいのです。
「もういいや!」とやけっぱちになる前に、絶望して死のうとする前に、困難な生き方もなかなか味わい深いものだと居直ってもらいたいのです。
自分だけなぜこんなに苦労するのだろう?自分だけなぜこんなにも失敗するのだろう?自分だけなぜこんなに人から嫌がれるのだろう?
これらは至極まっとうな問いです。人間が発する問いで最も真剣な問いだとさえ私は思います。
こうした問いを・悩みを大切に抱えて、ごまかすことなく考え続けてもらいたいのです。
そうすることによって
君はきっと自分固有の人生の「かたち」を探りあてることができるでありましょう。
所詮人生何しても空しいのですから
ぶざまでもしぶとく生き抜いてもらいたい。
ざまな生き方が、君にとってかけがえのない「宝」であることがわかるだろう。