▼keさん:
> この親記事を立ち上げたkeです。
>皆さんの意見で、見た目に気を使う努力も必要≠ニ書いてあったけど、俺は何度もそうしてきました。髪型を変えたり、服装を変えたり、アクセサリーをつけてみたりと。
> そうしたオシャレをしても、結局は笑いものになるだけでした。
> 初めの頃は、場の空気を壊さないために、何言われても笑ってすまして、いい人を演じてきました。でも最近ではそれが耐え切れなくなり、今ではすっかり場の空気を壊し、必ず1回はほかの人に不快感を与えて帰るようになってしまいました。
> その結果、友達ともかなり距離が出来てしまいました。
↑みたいに笑い者にするような人とは関わりを絶った方が良いかもしれませんね。
不快感を与えて帰るってことは、Keさんが怒ったということなんでしょ?
それに対してひどい事を言ってしまったとか、傷つけたと思ったりしないんだったら、そんな最悪な人とは人間関係を続ける必要は無いんじゃないんでしょうか?
(仕事などの付き合いは表面上だけでも続けないとダメですけどね・・・。)
> 見た目がいい人はいい人なりに、頑張っている≠ニ言う意見があったけれど、俺みたいに頑張りようもないくらいに不細工な人って、生きている価値がないんですよね?!
生きている価値がないとか言うのはやめましょう。
人間の価値とかすごく難しい問題だし、あの人よりは上、あの人よりは下とか他人を基準に価値を見出してもあんまり意味がないと思いますよ。
顔もその人の一部ですけど、顔だけで生きているわけじゃないですから。
僕は思うんですけど、TVに出ている女性のお笑い芸人さんで、よく不細工呼ばわりされている方が結構いますよね?
それで、最初に見たときは不細工で好きになれないかも・・・。とか思ったりもするんですけど、その人たちのネタや発言を見ていて面白いと感じたり、かわいい所があるんだなぁと思ったりして、いつの間にか好意をもって見ている事があります。
だから、顔だけじゃないんだと思いますよ。やっぱり内から出てくるもの、発言やしぐさなんかがその人の魅力の一部なんだと思います。
> だから俺は、人を不幸にすることでしか、幸せを感じられないのです。
>
本当に幸せを感じられるんでしょうか?
というか、人を不幸にした時に感じる感覚が本当に幸せなんですか?Keさんが何かをやり遂げた時とか、美味しい物を食べたりした時に感じる幸せな感覚と、人を不幸にした時に感じる感覚を比べてみて欲しいです。
きっと「幸せ」とは違うような気がします。
それと、他人を不幸にしてやりたい!とか、嫌味を言ってやりたい!とか、嫉妬なんかは誰にでも起こる現象なんだと思います。
だから、他人を不幸にするのが幸せ!とか決め付けずに、そ〜ゆう時もあるんだなぁ〜ぐらいに考えたらいいんじゃないんでしょうか?
その逆に、今気分がいいから他人に優しくしてあげよ〜とか、そ〜ゆう風なのはどうでしょう?
自分もコンプレックスはかなりあるほうなんですけど、そーゆうので悩み疲れるのってあんまりいい事じゃないので、自分はとりあえず保留しとこ〜って思います。
Keさんもとりあえず保留してみてはどうでしょうか??
文章を読んだ感じ、疲れているように見えるので、顔の事なんて忘れて休養しましょう!
のんびりしましょうね!