これはあくまで俺の考えなんだけど…
自分の中に相手の居場所があるかどうかなんじゃないかな?
自分のココロの一部分を相手が占めていて、ある日そこが急に無くなるから「悲しい」「寂しい」とかって別離の悲嘆が出てくるんじゃない?
よく心の一部が抜け落ちるっていうけど。
小学生の頃の相手はなんだかんだココロの中に君の居場所を作ってたんじゃない?
もちろん「自分のせいで君が死ぬ!」って罪悪感を突いたのかもしれない。
その時のシチュエーションが判らんからなんとも言えんけど…
だから、俺はクラスメイトが死んでも無感動だからって異常とは思わない。
相手は違うけど、俺は親父が死んでもなんとも思わんかったもん。
けど、生きてる間は『父親』って記号としか認識してなかった、今も普段は俺に親父がいたって事すら忘れてるくせに、ふとしたきっかけであいつの事を思いだすようになった。
風でホコリが舞い上がるみたいに一瞬だけふわっと。
そこにはびっくりな事に感情もくっついてる、複雑で言葉には現せないけど。
何が言いたいかって言うと、死んで居場所を作られる事もあるって事。
死んでからココロの中に住み着かれたら消せないんだけどさ…