▼ゆうとさん:
ゆうとさんには申し訳ないのですが、、何に悩んでいるのかよくわかりませんでした。
ゆうとさんの単なる杞憂と言いましょうか、「案ずるより産むが易い。」と助言せざるを得ません。
仮に、
ゆうとさんが、どんなに悩んで苦しみ自分なりの完璧な結論を見出して、
実行にうつしたとしても、「人生に有意義な道・選択」など客観的あるわけでなく、自分で見出していくしかないもです。
ゆうとさん自身すでに心の準備を用意されたいるはずですから、迷わず行動し、
自分自身が有意義なこととお決めになったらそれでいいじゃないですか。
わざわざそれが「本当に」有意義かどうか他人に聞いて回る必要はないとおもいますよ。
ここで、ゆうとさんが気をつけることはただひとつ
あなたの思いを親友に強制しないことだけです。
もうひとつ気になったことは、ゆうとさんの優しく・他人を過度に慮る性格です。
多分、ゆうとさんの頭の中には、常識の範囲をこえないかぎりで、つまりあまり苦労なく実行できる範囲で、何らかのポジテイブな回答を求めているか、
あるいはちょっと考えかたを変えれば「楽になる」そんな妙薬もとめているようで
なぜか、
ゆうとさんの「ずるさ」を感じます。
僕自身もこれまでの乏しい人生で学んできたことは、何かを得ようとすれば何かを
捨てなければならないということです。
あれもこれも欲しいというのは、無邪気で無謀な要求ではないでしょうか。
自分も傷つかず・親友も傷つかない、そして首尾よくノンケである親友の心情をもがっちり捉える?
などという芸当は、悲しいかな
このゲイの世界では難しいということを,念頭い置いておいてくださいね。
僕が、大嫌いな言葉のひとつに「お前のためを思って」というのがあります。
こう語るひとは傲慢ですね。
これは仮定の話ですが、
ゆうとさんが、大好きな親友を、あなたが大奮闘の末に彼を「目覚めさせた」として、彼があなたを感謝するとは限りませんよね。
あなたは、その後の彼の人生を丸ごと面倒見てあげれますか?
彼の「夢」に代わるものを見つけてあげれますか?
できないでしょう?
できないのだったら、親友に再会したときに、「前の告白した話は蒸し返さない」
ことです。黙っていることです。
無謀な夢に生きるのもひとつの生き方くらいに留めるのが賢明かとおもいます。
僕も、あれこれ小賢しいことを書いてしまいましたが、
結局はなんの(ゆうとさん)力になれないと痛感しました、ごめんなさいね。