誕生日にプレゼントをもらって不機嫌になる人はいません。
相手が男性であろうと・女性であろうと君に邪(よこしま)な動機がないかぎりはね。
君は、相手がプレゼントしたあとの反応を気にしていらっしゃるようですけど、
それは淡い期待を抱いているにほかならないと容易に想像できます。(あわよくば相手が自分に{ここは妄想をふくらませているところです}
期待どうりの関心を寄せてくれて親密な関係に発展することを)
相手は聡明なヘテロな男性と仮定しましょう。相手は同性愛に理解を示しても、賛成(受け入れる)することはできないかもしれません。理解と賛成は別のものだからです。
男性から好意を寄せられて、サプライズ的にプレゼントをもらい直感的に君のセクシャリテイが露わになって相手は戸惑うかもしれませんね。それは君も承知の上
ですよね。その後の展開は人によりますから一概に言えません。
相手が鈍感で稚拙な、およそ同性愛者に対し偏見と憎悪を抱いている人なら最悪な
展開を覚悟しなければならないです。それも君も承知の上ですよね。
君が相談しているように、誕生日にプレゼントをして相手が喜ぶ・君も相手に特別
な感情も抱かずプレゼントに対する見返りも要求しない。それは日常のどこにでもありふれた見慣れた風景で、特段に心配したり思い悩むことはなく取り越し苦労だとおもわれますよ。
僕だったら、誰が自分のことを変態だと思おうと、その人が自分のことを変態だと
思いさえしなければ一向に構わない。
僕と彼との間では、それは普通のことで、それとは関係ない人間が何を言おうと
関係ない。(意味とはそういう力関係だからね。)
でも悲劇というのはその先のことで、人によってその人がその、意味を成立させる
力関係を率先してブチ壊すということです。
僕の経験上この力関係をブチ壊す人には、
自分の中にあるそういう感情(同性愛のセクシャリテイ)を発見してそれを認める
のがこわいから、それで率先して言いふらすひと。
しかし先に述べたように、世の中もう少しましな子だっているんだから、プレゼントしたあとの態度を見極めればいいこと、ただそれだけです。
たしかに、見極めたあとでもなお、あきらめきれない相手も存在するだろうけど
それは、その人にまだ心奪われてて、そこからまだ離れられないってだけだから
そういう意味では君はまだ現実を知らないんだね。
現実を自分にとってましな方に変えて行くことが、「生きる」ということ
ただそれだけです。
君の人生まだまだ始まったばかりなんだから。元気だして邪推な考えを払って
まず行動してください。いい男になるんだよ!
相手の態度で