愛する人を失った。
突然でした。体を壊して自宅療養。
僕の心は不思議と落ち着いていた。
もちろん心配だったけど、自分がしっかりしてこの人を養おうと。
この人がどんな状態になっても、一緒にいれば何も怖くない。
そう思って、前だけ見るようにした。その人は希望だった。
自宅療養が少し続いたので話し合って病院に入院。
僕は朝仕事前と仕事終りに毎日病院に通う。
シンドイとか、苦痛とか微塵にも感じない。そこに行けばその人に会えるのだから。
何度かその人の痩せた顔を見て泣きそうになったけど、でも、治る病気だった。だから、病院に行くのが楽しかった。
入院して6日後、仕事帰りに病院へ行く。
いつもの通り話をして、僕と一緒にいる時にその人は亡くなった。
その人と一緒だから、僕はなんでもできた。
その人がいないのに僕が生きている意味なんてない。
僕の生きがいも亡くなったのだ。
年齢はかなり離れていた、喧嘩もいっぱいしたけれど、恋人、先生、親子、師匠、親友、家族、そのどれをとっても一番いい形になった。best partner(ベスト パートナー)とはこの事だと思った。
退院後にやっと、恩返しができる。これからもっともっと幸せになれる。
これからは僕がこの人を守って幸せにすると思っていた。
今、僕はなぜ生きているのだろう。
あの人が亡くなってまだ一週間・・・・僕にはもっと長く感じる。
ずっとずっと前の出来事のように。
1日、1日・・・・・あの人のことは毎日、いつでも鮮明に思い出せる。
いろんなところに遊びに行った。
でも、もう会えない。
今は写真をみたり、あの人を感じた時に話しかけてる。
聞こえてるかわからない。なんて答えてくれるかもわからない。
僕は何となくあの人を思い出しながら、答えを聞いたような気がする。
そんな毎日を暮らしている。
僕も死んじゃったら会えるのかな。
毎日毎日が重たく、まとわりつく空気すらゆっくりと流れて、
気づくとまた次の日の朝。
どんなに悲しくとも。どんなに苦しくとも。たとえ犯罪者になろうとも。
人は生きていかなければならない。
あの人の残した言葉を思い出して、生きるために仕事をして、吐きそうになりながらご飯を食べて、僕の周りでは、誰も知らないあの人の死を、悲しみを隠し続けながら。面白くない冗談も笑って生きている。
悲しみを麻痺させる虚構経済。
僕はあの人と一緒に農業をして暮らしたかった。もう2度と、届かない言葉を胸にこれを読んだ人は、今目の前にいる大切な人を、一生懸命に大切にしてください。
愛しているよ。大好き。待っててね。僕もいつかは絶対にそっちに行くから。