▼モラトリアムさん:
>僕は同性愛者。
>でも、それだからといって異性愛者にはなりたいと思わない。
>けど、同性愛であることに胸を張って街を歩くことはできない。
人との付き合い、さまざまな生き方、人を知ることによって、それは、これから変わっていくと思います。
>この問題は一生自分につきまとう問題で、
>このことを告白するべきかべきでないのかは良くわからない。
>女性と結婚しすれば一見は幸せなんだろうけど、ホントの自分ではない。
>男性と付き合って、毎日一緒に暮らしたい。とは思うけど、それはやっぱり
>理想だ。
>
その程度の理想は、現実味のない理想というよりもむしろ、極めて現実味を帯びているといえます。特に、新宿や堂山周辺で暮らすゲイたちの、若者たちの新しい考え方、生き方が参考になると思います。
>同性愛であることを隠すことは、
>仕方のないことなのか、逃げなのか。
>
>どっちなのだろうか。
どっちなのか、そういった問いさえ思いつかない世代が今、あります。どっちなのか、そういった問いを経験したとしても、即答した経験を持つ新しい世代が、増えていると、私は感じます。
地方都市の若者の多くは、依然として、そうした「どちいなのだろうか」という問いに、365日、悩まされている現実も一方ではあります。
私は、彼らもいずれ、どっちなのか、そういった問いから解放されるにちがいないと思います。
そうした変化は、北海道の田舎でも、現に見られるものです。
あなたがどんなに、ホモフォビックな世界に住んでいるのか知れませんが、規範というものは、常に変化します。ただその変化は、場所と時代によって、いくぶん遅いか、早いかという違いがあるだけです。と私は思います。