僕にも自分がゲイであることを告白すべきか、すべきでないのか悩んだことがあります。親、友人、先輩、上司etc…
だけど今は「すべき」「すべきでない」という考えでは現実にそぐわない気がしています。
する「べき」、する「べきでない」と白黒ハッキリさせたいのは分かりますが僕らの生きている世界はもっと曖昧なものです。
周りを見回してみてください、周りの人やモノを色で考えると純粋な白、純粋な黒みたいな色は世界にもあまりありません。
あれば確実に世界から浮いてしまうでしょう。
これが「べき、べきでない」と結論付けることのそぐわない点、1点目です。
もしもモラトリアムさんが「べき」「べきでない」とどちらかを結論づけるとして、その時反対の行動をとっている人たちはあなたの中に居場所がありますか?
「べき」というのはその言葉の中に強制の意味が含まれています。
反対の主張を認めない性質のものです。
もちろんモラトリアムさんはそんなつもりで「べき」「べきでない」と使われたのでは無いかもしれません。
けれど言葉というのは不思議なものでその言葉を使ううちに、その言葉に心が支配されてしまう…そんな力が言葉には(特に強い意味の)あります。
これが、カムアウトする人、しない人の両者が存在するなかで「べき、べきでない」と結論付けることがそぐわない点、2点目です。
考えてみると僕は沢山の人と関わって生活しています。
「告白すべき」という事になると僕は全ての人に告白することになり、余計な軋轢が生じるのではないでしょうか?
それからカムアウトに限らず、告白すると言う行為は自分の心にある秘密と言う重荷をいくらか軽くしてくれます。
だけど軽くなった分を告白した相手に負担させる行為でもあります。
「告白すべきでない」とするとこれは一生、重荷を抱えて一人で生きていく事になります。
ゲイとして生まれても、当然人生を楽しむことは許されるはずですからそれを最初から諦めてしまうのはつまらないし、哀しいことです。
ではどうするのか?
これは現実に相手との関わりの中で、個別に決めるのがもっとも現実的だと思います。
僕は同じ友人でも、ある人にはカムアウトし、ある人にはしていません。
それは相手をみて決めています。…こう書くとなんだか卑怯な奴と思われるかもしれませんね。
でも、前にも書いた通り僕の「個人的な秘密の荷物」を相手にも抱えてもらう訳ですから僕も相手が何か重そうにしていたら出来る限り力になろうと、それだけのこちらも覚悟をもってカムアウトしています。
言い換えればそれだけの覚悟が出来る相手にしかカムアウトしていないと言う事です。
ちなみに僕は知り合って7年、付き合って6年、一緒に生活を始めて5年目になる彼氏がいます。
この先どうなるかは分かりませんが、僕は彼氏の事が好きなので別れるつもりはありません。向こうがどう思っているかは分かりませんが。笑
ゲイだから、男同士だからと言う理由で自分の理想を諦めて欲しくはありません。
幸せは待っていても誰も運んできてくれません。
どんなに困難でも自分から進んでいかなくては、、。現実は頭で考えるよりもずっと厳しくて、複雑です。
だけどだからこそ、こんな僕にもやっていけるだけの余裕を現実は許容してくれています。
モラトリアムさんが、モラトリアムを抜けて現実を歩み始める時が早く来ることを願っています。
あなたはきっと素敵なヒトになれると思います。
だってこんなに「誠実に悩む」事ができるんですから。