▼EKG@さん:
個人的な意見ですが、生きる明確な意味を持ち合わせている人は少ないのではないでしょうか。
たとえば、生きるための目標を持つ人は多くいます。ただ、それは生きるための理由付けであって、生きる意味を持っているわけとはおそらく異なると思います。ですから、私が「あなたは何か目標を持つことで生きる意味を見出せる」と言っても納得できない部分があるのではないでしょうか。
ただ、人間という生き物を学術的に解明したとしても、わからないところはいくらでもあります。今大学で薬学分野に進みましたが、残念ながら日々わからないことが増えていきます。もちろん、わかる部分も多いですが、それ以上に”この程度しかわかってないんだ”という気持ちのほうが大きいです。
幸せということと、不幸でない、ということには大きな差があると思います。実は、苦労した人間は、苦労した人間で幸せな部分があり、苦労していない人間は、苦労していない人間で不幸せな部分があると思います。
では、生きている意味とは何なんでしょうか。これは、自分で見つけることか、それこそ、その意味を探すことが生きている意味なのかもしれません。
毎日が嫌な場合の解決法はあります。少なくとも、実感として現実自分よりも遥かに恵まれない人間を目の当たりにすることです。または、自分の好きなこと、集中できることを見つけることではないでしょうか。
バイトで埼玉県の塾の講師もしていますが、やっぱりこの手の相談は多いです。少なくともEKG@さんだけが悩んでいるわけではないということを知ってください。そこで死んでしまうのか、克服するのかは「自由」ではあります。ただ同時に、自殺すれば死体を片付ける人がいます。葬式に出る方々の出費もあれば、葬儀屋は儲かります。私は、最後の部分が一番嫌で、自殺という道は選びませんでした。”なんで物事が嫌になって死ぬのに、その嫌な感情で儲ける奴がいるんだ!”って感じですね。もちろん、負けん気が強いせいもあるんですが・・・・・。
今、進路や勉強などの直接的な問題もあれば、家庭がうざいけど大切という反面的な感情もあるのではないでしょうか。どうしても死にたいのであれば、そのときは、それを誰か身近な人に伝えてみるのもいいと思います。両親では意味がないかもしれませんが、学校の先生や友人、塾に行っていればその先生、そこの友達、習い事をしていれば、そこの先生などなど、きっと周りには真剣に聞いてくれる大人が一人くらいはいるはずです。
死ぬということは、意外に簡単なものです。生物的に、人間を殺す方法はかなりあります、しかも楽に。でも、その手段を講じるのに必要な精神的な耐久力が人間はないと思いますし、ないほうがいいと思います。自殺できる人というのは、意外に想像力がないのではないでしょうか。もちろん、マイナス方向に過剰にありすぎるのかもしれませんが。
どうか、もう少しがんばってください。何か悩みがあれば、またここで相談するのも手だと思いますし、愚痴っても良いと思います。要は、何かを良い意味で利用することになれるといいかもしれません。長々とすみませんでした。 JING