…ちょっとだけ、お邪魔します。
綺麗事、と言ってしまえば確かにそうかも、、
でも、今から話す綺麗事は悲さんの望む綺麗事ではないかもです。
僕も、今まで自分を『俺』と言えた事がありません。それは、自分を表す言葉ではないから
周りから、女性的であると指摘された事も何度かあるし、酷い時には馬鹿にするような表現をされる事もありました。
どちらかというと女性に共感できる所も多々あるし、正直、男性にばかり気を引かれてしまっている自分がいます。
でも、自分を性同一性だと思えた事がありません。
それは、生まれてきてから今迄、「男」として生まれ育ち、周りからもそう接してこられたから
精神構造が限りなく女性に近いのだとしても、今まで生きてきた自分は「男」として歩いてきた。
今更、自分を否定する事もできないし、そう思う気もさらさら無い。
だから僕は、多分死ぬまで「男」なのだと思います。
(…誤解がないよう、決して悲さんを否定している訳では無いです)
だた、やっぱ恋愛対象は男性だから世間一般で言う恋愛話と言うものに参加できた事がありません。
周りや家族にさえも打ち明ける事ができず、必然的に一人でいる事も多く、逆にそっちに方が楽だとさえ思っていました。
…恋愛、とかには無縁の生き物なのだと、、
人間、そんなに強い生き物じゃないから、
心の奥底では、自分を分かって欲しい、支えて欲しい、見ていて欲しい、と願わずにはいられないものです。
一人の時だと気付かなかった、己の心にある隙間。
ある時、自分を理解してくれる人が現れた時、隠してきた自分を打ち明けれた時、心から一緒にいて安らげた時、、、
そんな、自分の隙間を埋めてくれると思える人物と出会うと人は、自身の隙間を認識してしまう
そして、空っぽなのだと気付いてしまう。
風も吹かないのに、心の隙間がキリキリと痛む。
隙間を埋めたいと願っても、埋めてくれる人はいない。
どんな犠牲を払ってもいいと心から思っても、叶わないんだ、と思ってしまう。
…時に、自分が女の人であったら、とか
なんで男の人を好きになってしまうんだ、とか、そんな自分が嫌になる時もあるけど
次の日、目が覚めても現実は変わらない。
悲さんにとっては本当に悲しい現実なのかもしれない。
でも、苦しんでも悩んでも諦めても、、人は一人では生きていけないんです。
少なくとも、僕は生きていたい。
たとえ最後の最後まで一人であったとしても、心を通わせれる人が現れなかったとしても
自分の未来まで否定したくない。
先にあるかもしれない、喜びや幸せ
無駄な足掻きだと言われてしまうかもしれないけど、希望は捨てたくない。
こんな自分でも、きっと理解してくれる人が現れる、と
恋愛しちゃダメ、だなんて言わないで下さい。
愛されない哀しみや辛い現実に涙する事も多々あるでしょう。
それでも、そのひとつひとつは無駄では無いんです。
強くなれる、とまではいかなくても、確実に自分の答えに近づいていけます。
酷な言い方ですが、望まないように、なんて無理です。
…以上です。出すぎた事をお詫びします。お邪魔しました。