▼夜光虫さん:
新聞テレビ報道ひとつ事件が起こると
浮き彫りにされた問題点へのメスが入り 同じような事件が増えていく
ことはみなさんもご存知の通りです。
対応の仕方でも ゆとり教育がもてはやされたがために 一層馴染むことが
できない人への孤独感を 募らせる結果となった。
教育の問題の根本的な問題はそこで
時代を生きる知識をいくら 蓄えても 情や思いやり・人としての
善悪の区別 愛情 友情
自分ってこういう人なんだよ っていうのが輪からはずれてみて
孤独になると 薄らいでいっちゃう。
まして 上からの押さえつけや 社会の制度に対しての
自分が傷つけられそうになるのを 避けるために
いろいろな自分になる=演じたりあわせたりする。
それも全部自分なんだけど 今ひとつ心の中の
学校生活が満足だっていえる人って少ないんじゃないかと思う。
ドラマのような感動を
実生活に求めたり その感動を得ようとするには
自分がどうすべきなのか
結局は 過去の時間や 人生は
返ってこないから
ずっと悩んだままでいいの?
手紙や 気づいて欲しい事を そのままでいいの?
自分以外の人に その気持ちをわかってもらえたら
なお 楽になれるのに
内に向かう心の葛藤を 溜め込まず 自分や他の人に
理解してもらって
自分で思っている考え方の 方向転換をしながら
罪の意識に苛まれてそのままの日を
変えなきゃ 最終的には自分の為 今ある環境を楽めない自分も
含めて
大事にされて欲しいと切実に思いました。