▼しょうごさん:
はじめまして、私は北海道で高校3年生のJINGと申します。ちょっと目に留まったものですから、少しの間お付き合いください。
実は、私はこういった掲示板でお話させていただく時は、こういった感じで言葉は崩しません。演劇をしているせいかもしれませんが、ただ、私の特徴に意外としょうごさんのお嫌いな部分が多いのです。
例えば、私は劇団で子供たちを教えていますので、怒鳴ります。叱ります。そのときの言葉は大変暴力的であるのかもしれません。ただ、羞恥心はあります。ただ、卑猥というのか何とも難しい表現をお使いになるなぁ。と思います。卑猥、と申しますとついつい影的な褒め言葉に聞こえてしまいます。ただ、女性との性交の話ですとか、性器の話であっても本当は一般的な生物の話ですから何も恥ずかしいことは無いはずなのです。恥ずかしいのは、それを恥ずかしい、またはいやらしいと思うことなのではないでしょうか。別段しょうごさんを責めているわけではないのですが、それを気にせずに生活するためには、本質を見抜く目を養う必要があるのではないでしょうか。
実は、見下しているのは男性ではなくて、女性のほうだと思います。あまりにも見下すものですから、男性も対抗しているに過ぎないのではないでしょうか。そして、男性が攻撃的なことは実は当たり前です。そして、攻撃的なものは得てしてその裏に弱いものを持っています。本質的に強いのはおそらく女性のほうなのだと思います。
そして、別段貴方に権利はあります。しかし、権利が無いと思った瞬間にそれは霧散するでしょう。私は、同性愛者として、バイとして、我世の春を謳歌しています。別段同性愛者であることが、後天的であるとはいえ不幸だと思ったことは、ただの一度もありません。もっと、ご自分に素直になられては如何でしょうか。幸せを望まない人なんていないはずです。望むことは自由です。手に入れることも自由です。ただ、今の人の悪いところは、勝手に思い込み、勝手に悟ったふりをして、諦めてしまうことなのではないでしょうか。世の中、思い通りになるほど甘くないとは思いますが、掴み得ないものがあるほど、高レベルな社会でもないと思います。
そして、女性とゲイとの結婚もありえるのだと思います。ただし、それには高度な精神レベルと見識が要求されるとは思いますが。なぜかといえば、肉欲や精神的恋愛に頼らない共同生活がいかに難しいかは、想像に難くない思います。ちなみに、私は一部の女性にはカミングアウトしています。別段何も変わったことはありませんが、唯一あるとすれば、恋愛話をする時により突っ込んだ会話が出来るようになった程度のことです。
人と交わることは不可能だと思います。皆、同じような悩みを持ち、同じような考えを持っているのではないでしょうか。重要なのは、自分が不幸だとは思わないこと、自分に不可能があるとは思わないこと、そして、自分が幸せであるとも思わないこと。ではないでしょうか。1つ目を思えば、結局は自己陶酔の局地にのめりこむと思います。2つ目は、勝手に自分の選択肢を狭めると思います。そして最後は、向上心がなくなると思います。しかし、この3つを重要視すれば自分の中での精神面がかなり成長するのではないかと考えます。
がんばってください、物事の本質を見抜くのは難しいですし、別段私がそれを出来るわけでもありませんが、それを養うようにすること自体は必要だと思います。どうぞ有意義な生活をお送りください。 JING