▼渡辺さん:
個人的な意見と、私の少ない経験から申し上げます。
私が同性愛を考え始めたのは高校生になってからですので、渡辺さんよりも遅かったです。ただ、同性愛も異性愛も結局は愛情なのだと思います。ただ、その恋愛対象が異性であるか、同性であるか。ということだけなのだと思います。確かに、同性愛では子供は生まれません、しかし、幸か不幸か、世の中には大量の孤児がいます。私は、あまり自分の血を受け継いだ子供と血の繋がっていない子供との愛情の差を感じるとは思えません。それは、愛していた人を事故で失ったせいかもしれません。その人との子供は永遠に望めません。一緒に育てることすら叶わない。ですから、私は出来る限り血の繋がりなど無くても、自分の子供として、将来子供を育てたいと考えています。片親であろうが、特殊な環境であろうが、親が明確な見識を有している限り子供は活きると思います。
私の場合、一部の友人、俗に言う親友には『バイ』であること。将来、男性と一緒になるなら子供は上記のように育てたいこと。などを話しました。彼らの場合「そやってちゃんと考えてるんならいいんじゃね?」といった感じでしょうか。あまり正面から嫌悪感をあらわにされたことは有りません。他の人にはもちろん『ふり』をしますが、苦痛に近いものは確かにあります。ある意味では寂寥感があります。しかしながら、それは受け入れるしかないのかもしれません。世の中に同性愛と異性愛の二つが両立するには、いま少し、というには、憚り多いくらいお互いがお互いに自身の事も相手のことも、そして、愛情もわからなくなっているのかもしれません。ただ、今は自分の中で確固たるものをもてればいいのではないでしょうか。
なぜ、気持ち悪いのか。自分たちと違うからでしょうか、それとも同性と性交すること自体が嫌悪感の対象なのでしょうか。私が異性愛者であったときは後者でした。そして、それがあまりに思い込み、または、固定概念であったことに気が付いたのは本当に最近です。そのことを中学生の周囲にわかってもらうのは難しいと思いますが、必ず理解してくれるとは思います。
ただ、異性愛者の思考も少し考えてあげてください。彼らの性的な思いや判断、価値観は、実は同性愛者のそれと根本的に変わる部分は無いと思います。そう思って、同性、異性の壁に囚われず”人を愛する”という大切なことを考えれば、あまり気にしなくてもよくなるのかもしれません。
がんばってください。同じような悩みを持つ人はまだまだたくさんいると思います。ただ、それに乗じるずるい人間がいるのもまた事実。これから様々なことがあるでしょうが、どうぞ負けずに進んでいて欲しいと思います。 JING