▼大さん:
同じ考えではないため、正直コメント申し上げていいのかどうか思案いたしましたが、ご無礼であれば読まないでください。
私は、どうしても性別間でのトップ、というのは寂寥の年を禁じえません。なぜならば、私にとって愛されるとは”人として”愛されることだと思うからです。二人の人間を愛することは、その人が愛情をそれぞれ自分以外の人にも与えるということだと思います。失礼な言い方で申し訳ありませんが、性別に囚われて、これでもいいと思ってしまうのは、自己弁護のような気がしてしまうのです。理由としては、自分がその人にとって唯一無二の存在になれないこと。自らの努力でその人の心を単一に掴むことが出来ないこと。しかし、恨む気にはなりません。ただ、寂しいと思います。
確かに、相手に受け入れてもらえる、相手を受け入れられるのは幸福なことだと思います。しかし、恋愛とは、共に高めあい、共に補い合い、共に成長することだと思います。その点に関して、それぞれの性別に愛人を持てば、その3者いずれも達成することが出来ないと思います。
意見の相違はあると思いますが、あくまで私見として書かせていただきました。失礼します。 JING