▼Φさん:
これは、私の私見ですがその女性は、応援しようと最初から思っていなかったのではないかと思います。
しかし、それに対する貴方の対応が度を越えていたことに気付かれるべきと思います。
人間社会の中で、裏切られるのは当然のことですし、日常茶飯事です。相手を思う気持ちがより強ければ、なぜそこで諦めたのでしょうか。自らを傷付けたり、突然倒れたりする原因の大半が実は”自己満足”にあることが、最近の医学で大いに知られるようになりました。そのため、学校や病院でも治療ではなく”追い返す”ことを旨とするようにしているところが増えています。
『もう二度とあんな思いはしたくない』なら、しないように努力しませんか。ただ殻にこもることは決して努力ではありません。傷はつかないでしょう。しかし、幸福を手にすることも決してありません。
人に心を許さなくなっている原因のひとつはあなたにあると私は思います。人に心を許そう、と今まで思っていなかったことが要因のひとつとなります。今、『人とどう接するべきか』と考えるようになったのは、多いな一歩と思いますが、その一歩を歩むと同時に過去の自分に決別してはいかがでしょうか。忘れる必要は絶対にありません、ひとつの経験として、己の未熟さと相手の非情さを覚えておく必要があると思います。
『好きな人』が、出来た。ということは、人に心を開くきっかけが出来たのだと思います。恐れても良い、怖がっても良い、しかし、その思いを”付き合おう”と言った相手にぶつけたほうがいいと思います。そして、その想いを受け止め、包み込んでくれた相手こそ真に貴方を想っている人だと思います。
不運であったことは、決して悔やむべきでも陶酔するべきでもない事象です。不運な事象は、それを如何に活かすか。これをこそ重要視すべきものだと思います。落ち込むのは仕方が無いことです。しかし、倒れたのも”貴方”、何も食べなかったのも”貴方”、手を切ったのも”貴方”。”貴方”の選択です。過度の拒食症。というと、おそらく想像しやすいでしょうが、本来は”過度の拒食症=拒食症、軽度の拒食症=精神疲労”だそうです。突然倒れる原因は貧血や急性の病気以外は”とめる”意思の無かった自分による『選択』だそうです。リストカットは、『死にたい』わけではない、ストレスを自虐することで内向的なストレスに変換し、一時的な満足を味わうための手段だそうです。それを自制、解消することは容易であり、その際は、ゆっくりと第三者が付き添ってリストカットを認めつつ、悩みを解消することが現在最も使われている解消法です。しかし、叱咤激励で止めている人も存在します。この両者が言うことは『理由は他人にあり、原因は自分にある。しかし、殆どの人間が理由も原因も自分にはないと思い込んでいる。先天的な環境や自主選択の出来ない環境における特殊な例を除くが、それが大半だ』そうです。
どうぞ、ご自分と戦ってください。せっかくの大切な人です、二人とも忘れず、現在の大切な人とは幸せに、過去の大切な人は”想い”を大切に、幸せにすごして欲しいと想います。しかし、そのためには貴方の努力が必要なことだけを忘れず、休み休みでも、彼氏になるべき人と共にでも、幸福な人生を歩んでいただきたいと切に思います。 JING