本当に死にたいなら死んだ方がいいと思うよ。なんだか無責任な事を書いているやうに思ふかもしれぬけれど、苦しみから逃れるための死といふのも有りだと思ふのです。
上の方が書いていらっしゃる通り、死んだら何も考えられなくなる(だろう、もしくはかも知れないとされている)けれど、それって考えてみたら、好きな人に会いたいとか好きな音楽聴きたいとかお寿司食べたいとかテレビみたいとか、そう言った欲求すら感じないわけだから、苦しまないはずだし、「後悔する」という思考すらないわけですよ。なのであれば、生きているのが苦しいなら、それから解放されれば良い。人間には生きる権利があるのだから、死ぬ権利もあるはず。
よく、命は大切だから〜と仰る方が多くいらっしゃるけれど、それって誰のために大切にしているのかしら。自分ではない誰かのために自分自身が苦しまなければならないなんて変です。もっと自分を大切にしませうよ。自分のために、死にたいなら死ぬ。命があるから自分なのかもしれぬけれど、絶望的な苦しみを堪えてまで大切にするべき事なのでせうか。最も優先すべきなのは自分自身なのだから、死にたいのなら死ぬべきだと思う。
わたくしも実は一年くらい前まで酷く自殺願望がありました。恒常的に死にたくて、何度か行動に移したりもしました。頭から離れないのです。死ぬという快楽が。解放が。自由が。けれども、わたくしの場合はそのこととは違う理由で通院していました。心療内科に。そこで一年くらい薬物治療を行っていました。気がつけば、自殺って失敗したら恐いしな、と思っていて、宇宙ってこれからどれだけ発展するのかな、みてみたいな、と思っていた。わたくし宇宙が好きでしてね。そう、自殺願望が消えていたのです。だから病院で診察して頂くのも如何か、と思います。