俺は高3の受験生です。俺には家が隣で0歳の時から一緒だった大親友がいました。そいつが一ヶ月前死にました。
八月の夏休み、俺は結構学校とかサボったりが多くて、ほぼ毎日ある夏休み課外もほとんど行っていませんでした。親友は俺とは違って頭良くて、県内でもレベルの高い大学に行こうと課外も毎日受けていました。そんな親友が俺に、一緒の大学に行きたいと言うようになり、日に日に俺もそいつと一緒の大学に行きたいと思うようになり、一緒の大学を受ける事を決心しました。そして俺の学力がどれ位あるのか調べるため、その週の土曜の模試は一緒に受ける事を約束しました。
土曜になって、夏休み初めての早起きをしてそいつを迎えに行くと、気分が悪いから休むといわれました。親友の顔はほんとに青くてトイレにずっとうずくまって頭が痛いって唸っていました。それがすごい心配で俺も休むと言ったけど、そいつに一緒の大学受けるんでしょと言われ、行くことにしました。親友は壁に捕まりながら玄関まで来てくれて、行ってらっしゃいって言ってくれました。俺は、速攻で帰って来るからと言って学校へ行きました。
学校で二時間目を受けてる途中、鞄の中のバイブが鳴りました。やんでもすぐに鳴り始め、先生にバれないかハラハラしていました。休み時間になって携帯を見たら親友の母親の携帯でした。着信が13件入っていて、かけ直すとおばさんの声が聞こえおばさんが泣いているのがわかりました。親友はそのまま救急車で運ばれたと言われました。
三時間目は受けずにタクシーで急いで病院に行きました。救急病棟待合室にはおばさんとおじさんとうちの母親がいて、おばさんとうちの母親は泣いてました。おばさんに聞いた話によると、親友はずっと俺の名前を呼んでいたそうです。親友はくも膜下出血だといわれました。でも俺は死亡率30%とか書かれた書類が散らばっていても17歳なのに若いのに死ぬなんてありえないと全く実感がわきませんでした。ジュースを買おうと外に出た時、隣の救急処置室から親友がタンカ?に乗せられて出てきました。親友は意識があって俺と目が合うと笑ってくれました。俺も手を握って笑い返しました。だってそいつが死んで、そいつがいない生活なんて想像出来なかったから。
親友は手術後、意識が戻りませんでした。俺は毎日学校の後、病院に寄って手を握ってその日あった事などを話していました。たまに親友は手を握り返してくれました。医者は握られる反射で筋肉が動くだけだよと言っていたけど、俺は絶対そいつがわかってくれていると信じていました。痩せていく体と反対に日に日に腫れていく顔を見ても俺はそいつが死ぬとは微塵も考えてなかった。
そして一ヶ月後の九月、学校にいた俺におばさんから電話がかかってきました。心音が取りにくくなって危ない状態だと…俺は急いで病院に行きました。病室にはおじさんとおばさんとうちの父親と母親と医者がいました。俺は、入り口で立っていました。ドラマで聞くみたいなピーって音が聞こえました。みんな泣いていたのに俺は涙が出なかった。おばさんに促されてそいつの手を握った瞬間、一気に涙が溢れてきました。あったかくて、やわらかくて死んでるなんて嘘みたいで。手術の時、剃った髪の毛もちゃんと伸びてきていて、親友は確かに生きていた筈なのに…俺は親友の手が冷たくなるまでずっと握っていました。
通夜、葬式、初七日、あっという間に過ぎました。葬式にも出席して、骨も拾いました。火の中に親友の入った棺おけを入れる時、ガキみたいに、嫌だ!って叫んでしまいました。骨になった瞬間、人間がどれだけあっけないかを知りました。ホントに死にたい位辛くて、あの朝、俺の名前をずっと呼んでいたという、そいつの側にどうしてついていてやらなかったのか死ぬ程悔やんで…。みんなに好かれて、頭良くて将来もあったそいつの代わりになれるならと何度も思いました。
この一ヶ月、毎日そいつの夢を見ます。今までの思い出もあれば病院での情景や、あの日の朝の事など。行ってらっしゃいって言ってくれたあいつの顔が忘れられなくて、亡くなった日、握った手の暖かさが忘れられなくて。
最初は夢ででも会える事が嬉しくて…でも一ヶ月続くと夢で幸せな分、起きた時現実にそいつがいない事の喪失感がすごくて、起きる度に遺影を確認しては涙が出ます。体重は10キロ痩せて両親だけじゃなく、一番つらい筈のおばさんやおじさんにも心配をかけています。
病院に通っていた時に気づいた事なんですが、俺はそいつの事が好きだったんです。ここに書き込んだのはそんな感情、周りの人間には言えないし、でも誰かに聞いてもらったら少しは気持ちが収まればと思ったからです。一方的に相談に乗りにくい話、長々と書いてすいませんでした。読んでくださった方、ありがとうございます。