また僕は、いつもの坂を上っていた。
渋谷の駅から伸びるその坂を、僕は何度上ったことだろう。
でも、君と上る坂はいつもと違って見えたんだよ。
「こっちであってんのか?」
「いや合ってるよ…たぶん」
「じゃあ違ったらあれな、なんかおごって」
「はいはい」
公演まであと二週間、毎日の稽古の束の間の休日も、こうして君と一緒に過ごせる。それが本当に幸せで、少しどんよりした天気なんて気にもならなかった。
「川島さ、この劇団知ってる?」
「ん?ああ、なんか聞いた事あるわ。おもろいの?」
「うん、俺もめっちゃ好きでさ、これ、DVD貸すからみてみろよ。」
「まじか、ラッキー!さんきゅな。」
川島の口癖は、稽古場でもネタにされていた。「ラッキー!」嬉しいとき、あいつはこうやって純粋に喜んで、そのイカツイ顔を子供のように輝かせた。
「つかお前んち、DVDみれんの?」
「あー、まあパソコンなら。」
「じゃあさ、せっかくなら一緒に観ようよ。俺の部屋、テレビあるし。」
「んー、めんどくね?w」
「はあ?じゃああれだ、親に飯つくってもらうからさ。」
「まじで?いいの?よっしゃなら行くわ!ちゃんと接待しろよ!」
「ごめん意味わかんないからw」
「ん!」
こうやって、なんくせつけて、君を何回俺の家に呼んだんだろ。
一回一回がすっごくドキドキして、すっごく楽しみで、
すっごく辛かった。
>こないだDVD観たじゃん。
>おう。
>あの劇団が今度、新作やるんだけど、興味ある?
既読がついても、返事がない。
数分待った、でもその数分ですら、なんか長かった。
>いきたい!
よっしゃ。
>でも公演日程と、稽古の毎日練かぶってて、あの一日しかないオフ日しか行けないんだよね。空いてる?
ぶっちゃけ、公演を観たい、そんなの二の次。一日でも、君に会えないのが辛かっただけなんだろうな。
>たぶん空いてる。チケット任せていい?
>おっけー!
嬉しかった。二人で、ふたりで劇をみて、ふたりで過ごせるんだ。
すっごく嬉しくて、すっごく楽しみで、
ちょっぴり不安だった。
「わり、今日は俺帰るわ。」
「えー、まあいいや。お疲れ。ばいばい!」
「おう。また明日な。」
いつも通りの稽古終わり、駅まで歩く君との二人きりの時間が、唯一の楽しみで、唯一僕を心から笑顔にさせてくれた。
毎日一緒に帰るけど、毎日一緒にご飯行けるわけじゃない。
こうやって君が帰ってしまうと、ものすごく僕は寂しくなって、
どうしようもなく心細くなってた。
街の喧噪と、まだまだ肌寒い空気が、僕をいつもの坂に向かわせる。
体を巡る、君への想いと、心を揺さぶる、君の温もり。
代わりなんてないのに、僕はいつも、行き場のないその欲求を満たそうと、
その坂をずっと上った先の、あの暗くて暖かい場所に向かっていた。
「いくつ?」
「20です。」
「かわいいね。個室、いこうか。」
似てもにつかないその声を、
似てもにつかないその体を、
僕は必死に、塗り替えてたのかもしれない。
だって、その人はあいつより、僕を求めてくれてるような気がしたから。