【17:00】
夕方に近づくと社内の空気が一気に週末モードにかわる金曜日。
午後を過ぎると、すでにオフィスは金曜日の夜に向けて、そわそわし始めていた。
そんななか、俺はといういと、もの凄い勢いでキーボードを叩いていた。
普段もこのくらいの勢いで仕事ができてたらいいのにと考えてしまう。
「堀川君、今夜デートかなんか?」
「さ、榊部長!急に驚かせないでくださいよ」
榊部長。40前半にして女性で部長になった、所謂キャリアウーマン。
『自分が信じたことは喧嘩してもいいから、最後まで貫き通しなさい!責任は私がとるから!』と男勝りな榊部長は、社内でも浮いた存在であり、敵も多い。
しかし、女性だけではなく男性部下からは絶大なる信頼と人気を誇っている。
もちろん、独身である。
「タイピングの音がいつもより強いわよ。
キーボードを強くたたくほど焦る仕事も、私の把握している限りじゃないはずだし、、、今夜の用事のために一秒でも早く仕事を終わらせたい。そんな感じかしら」
「さすが、榊部長。。。降参です。」
「でも、堀川君にしては珍しいわね。その調子だと相当楽しみな用事みたいね。」
「え、、、いや、ただの飲み会ですよ」
「そう。これ以上聞くと、パワハラって言われちゃうから、何も詮索しないけど、
、、酒には飲まれちゃだめよ。それじゃあ」
そういうと、カツカツと軽快に音をたてながら去っていった。
「(仕事だけじゃなく、プライベートもお見通しとは、さすがだな〜)」
そう、今日は悠吏と二人で飲む日。
先週、親友のショータに相談した後、思い切って飲みに行かないかと誘ってみた。
「もちろん、いいよ!」
二日もかけて考えた「お誘いメール」に、ものの一分で返事が返ってきて、拍子抜けしてしまった。
そこから一週間、どこの店がいいか、なんの話をしたらいいのか、聞いちゃダメなことはなにか、ショータに相談する日々が続いた。
「なんか女子高生の恋愛話聞いてるみたい」
と、ショータには馬鹿にされるのも、恥を捨て耐えてきて、とうとうその日を迎えた。
ピロン♪
スマホを見ると、悠吏からのラインだった。
『お疲れ様♪
今、研究室出たから、新宿には18時には着きそう!』
『お疲れ様。19時には新宿駅につくようにするから。待たせちゃうね、ごめん。』
『大丈夫。買い物してるから、ゆっくりどうぞ!仕事頑張って』
そうメッセージが来たのを確認すると、視線をパソコンに移した。
「よし、あと2時間。がんばるか!」
【20:30】
『ごめん!まだ出れない』
そう悠吏に送ってから、ずっと返信もなく未読が続いている。
「あら、堀川君。まだ残ってたの?あなた用事は大丈夫なの?」
相変わらず、パソコンに向かってキーボードを打っている俺に榊部長が驚いたように話しかけてきた。
「実は、A社から届いたサンプルが、うちが指示出したものと全然違うデザインで先ほど届いて、今、A社に確認しているところなんですよ。」
「あー、あの例のフライヤーね。予定、大丈夫なの?」
「それは、大丈夫です。」
それを聞くと、榊部長は何も言わず部長席に戻っていった。
表情には出ないように言ったつもりであるが、
大丈夫ではない。
なぜ、あれだけ打ち合わせを重ねたのに、こんなものができるのか。
担当者は俺がまだ2年目の平社員ということも知っており、「あ〜、すみません」と完全に見下される始末。怒りを通り越して感心してしまうレベルだ。
しかも、こんな日に限って。。。
すると、
「堀川君!!A社の担当って営業2課でいいのよね?」
遠くの部長席から、名刺帳をパラパラと見ながら堀川部長が大声をだして、俺に聞いてきた。
静まり返ったオフィスでまだ残っている社員が、何事かと一斉に俺の方をみる。
俺は赤面しながら「そうです!」と答えるのが精一杯だった。
「あそこの営業部、昔一緒に仕事した奴がいるから、あたしから電話して発破かけとくわ。あなたは、レイアウトで他にミスがないかもう一度確認して頂戴!」
「はい!」
俺は、部長に向かって感謝の意味も込めて大声で返事をした。
【21:30】
「部長、最後まで掛け合ってくださいまして、ありがとうございました。」
俺は、帰りがけの部長を捕まえ、頭を下げた。
「いいのよ。堀川くんこそ、お疲れ様。今回の件で、あなたの仕事に対する熱心さ、改めて伝わったわ。さ、あなたも早く上がりなさい!」
「はい、お疲れ様でした。」
もう一度、頭を深々と下げ、顔を上げると、もう榊部長はオフィスの出口に向かって歩いていた。
俺はスマホを取り出し、
『今終わった、ごめん!今から新宿駅に向かう。』
とだけ送り、オフィスを後にした。
エレベーターに乗り込むと、スマホをひらく。
悠吏からの返信はなく、俺から送ったすべてのメッセージが全て未読だった。
俺は、新宿駅に向かいながら悠吏に電話を掛けた。
着信はするものの、出ない。
不安が大きくなる。
怒って帰ってしまったんではないか。
そんなこと考えながら10分もたたないうちに、待ち合わせ場所に指定した新宿駅サザンテラス口についた。
新宿駅新南口は、ずっと行っていた工事がこの春に終了したばかり。
テラス口の前は『SHINJUKU』のモニュメントが設置されており、その周りはベンチが置かれ、新宿サザンテラスを一望することができる。
この時間は、一杯飲み終わったカップルが、所狭しと座っている。
そのカップルをかき分けながら、悠吏を探すが見当たらない。
望みをかけ、もう一度、悠吏に電話をかけた。
「だめか、、、、」
それもそのはずだ。
集合時間が19時なのに、22時近くまでこんな外で待つはずがない。
急に力が抜け、その場にあるベンチに腰掛けた。
NTTビルの隣には大きな満月が何かを俺に語り掛けるように、輝いていた。
「あ〜、うまくいかないなー」
目をつぶりかけた瞬間、背後から
「拓斗!」
俺は、声をかけられた気がして、後ろを向いた。
「!!」
そこには、コンビニ袋を持った悠吏が立っていた。
「よかった、会えた!仕事遅かったんだね」
「悠吏!、、、ごめん!遅くなった。
てか、、、なんで、ここにいるの」
俺は困惑しながら聞くと
「なんでって、ここ待ち合わせ場所でしょ」
と、何変なこと聞いてるの?と言わんばかりに返してきた。
「いや、待ち合わせ時間3時間近く遅れてるし、、、携帯も繋がらないから、もう怒って帰っちゃったかと思ってた、、、」
「あ〜。電話してくれた?
それがさスマホを研究室においてきちゃって笑」
そういって、俺の隣に悠理が腰をかけた。
「え、、もしかして、ずっと待ってたの!?ここで!?」
「うん。もちろん。」
「もちろんじゃないよ。普通帰るでしょ。変だと思わなかったの?こんなに待たされて。」
「でも拓斗、来てくれたじゃん。
それに、ここの席からすごいきれいに満月見えたから、それ眺めてたらアッという間だったよ。
まあ、漫画も読みながら待ってたんだけどね。」
満面の笑みで俺に答えた。
戸惑っている俺を横目に、悠吏はコンビニ袋から肉まんを取り出し、半分に割ると、片方を俺に差し出した。
「食べよ。
待ってる間にさすがにお腹すいて、買ってきちゃった。肉まんは一つだけど、ビールは二缶あるから。」
俺は、今にでも悠吏を抱きしめたくなったが、その気持ちをぐっとこらえ、ビールを受け取った。
「悠吏、信じてくれてありがとう」
「もちろん!」
「、、、、乾杯するか。」
俺と悠吏は同じタイミングで蓋を開けると、満月をバックに缶ビールで乾杯した。
「乾杯!」