コーチとの会話は、やはり水泳時代の話でもちきりであった。
「お前、中2の時の会で、競パン忘れてきてさ、もうビックリどころか逆に歓心しちまったよ!」
コーチは、お手製のカリフォルニアロールを一口で口の中に入れると、清涼飲料水を飲むかのようにグビグビと赤ワインを飲んだ。
「あ〜、懐かしいですね。結局、コーチの競パン借りて出場したものの、少し緩くて違和感あったまま泳いだら、県の記録更新しちゃったっていう思い出のパンツっすね。
あの時は、自分でもびっくりするほど軽く前に進めたんですよね。
まだ、あの感覚忘れられませんよ。」
俺も負けじとグビッと残っている赤ワインを飲みほした。
ふと、掛け時計を見ると10時を回っていた。
コーチの家に来て、あっというまに2時間が過ぎていた。
「そうそう、あの時のお前の泳ぎは今でも忘れらないよ。本当に早かった。」
コーチが当時を思い返すように言うと、
俺はワイングラス傾け、俺も同じく当時を思い返しながら遠くを見つめるようにボソリとつぶやいた。
「そうですね。あの時が俺の最後のピークでしたね。
・・・あの後ことは、よく覚えてないな。」
酔いのせいだろうか。
当時の光景が、鮮明に思い出してくる。
あれ以降、俺はタイムが上がらず、
選考会が終わるたびにコーチに励まされていた気がする。
「がんばろう!次はいいタイム出せるよう俺もメニュー作り直すから!」
そんな言葉に甘えていた。
コーチについていけばなんとかなるはず。
あの中2の時のように、また記録更新できるはず!だと。
しかし、満を持して挑んだ中学最後の大会で
記録更新どころか、県大会の決勝に進めず終わってしまった。
それでも、コーチはいつもとかわりなく俺を励ました。
「昇、今日は最後の伸びが出なくて失速したけど、そこを出せるようなメニューをつくるから!!」
と、コーチは俺に手をかけた。
しかし、俺は抑えきれなくなり、その手をおもいっきし振り払った。
「いいかげんにしてくださいよ!!
毎回、毎回メニューつくりなおしたって、同じ結果じゃねえかよ!
こんなことしてたって、俺はもうタイムなんかあがらねぇんだよ!」
殴られてもいいと思った。
他の生徒も教えなければいけないのに、それを差し置いて、俺のメニュー作りから指導まで本当に一生懸命やっていてくれたコーチに俺は八つ当たりしたのだ。
言ってしまった後に後悔したが、もう口からはなってしまったものを元に戻すのは不可能であった。
コーチは一瞬ひるんだものの、いつも以上に優しい顔つきになり
「ごめんな、昇。俺のメニューが悪いばっかりに・・・。
でもな、昇は良い素質を持っているから、絶対にタイムは上がるから。
俺が絶対にあげてやるから!!!」
いつになく強い言い様で言うと、俺の肩に両手をかけてきた。
そして、今まで見たことのない真剣な眼差しで俺を見つめていた。
「・・・コーチ、ありがとうございます。
でも、もういいんです。
俺、疲れました・・・。」
もう本当に何もかもが限界だった。
練習を続けるのも、タイムを見るのも、そして、泳ぎ切った後のコーチの悲し顔を見るのも・・・。
「・・・そうか。とりあえず、今日はお疲れ様。
気を付けて帰りなさい。」
コーチは、そういうと肩にかけていた両手を落とすと、スタスタと去っていった。
俺は、最後まで俯き、コーチの顔を見ることはなかった。
その事件後、スクールに行くと、いつもとかわらないコーチが、何もなかったかのように俺に水泳を教えてくれた。
しかし、俺もコーチも二人の間に微妙な空気が流れているのを感じていた。
結局、俺はその空気に耐えられず、高校進学とともにスクールも辞めてしまった。
すべて、自分のせいだった。
すべてをコーチ任せにし、タイムが上がらないのもコーチのせいにし、結局は、勝手に爆発してしまった。
そして、俺は大好きであったコーチを傷つけてしまった。
俺は、そんな大事なことを時間とともに記憶から抹消していた。
人は、都合の悪いことは、忘れてしまうのだろうか。。。
いや、違う。自分で振り返りたくないと思い、自分で消してしまったのだ。
「昇!!どうした!?
お前、目から涙が出てるぞ!」
慌てたように、コーチが言った。
俺は、自分が泣いている感覚に気づかないまま、磯崎コーチの方を向いた。
「コーチ、ごめんなさい。。。
俺のせいで、コーチに悲しい想いさせた。。
今、思い出したんだ。。。。
中学最後の大会、俺、コーチに本当に酷いこと言った。。。
俺のこと、一生懸命サポートしてくれてたのに・・・。
コーチの悲しい顔が見るのが怖くて、顔あげることができなくて。。。」
もう涙が止められなかった。
コーチは、そっと俺を抱きしめてくれた。
コーチの温もりを感じる。
何年振りだろう。
コーチに抱きしめられたのは・・・。
そして、昔の優しい口調でコーチは俺に囁いた。
「俺の方こそ、楽しい想いさせてもらったんだよ。
・・・だから泣くな。」
ギュッと、強く、優しく抱きしめられる。
「コーチ、ごめんなさ・・・」
言葉にならない嗚咽で、俺もコーチを強く抱きしめ返した。
クーラーの冷たい風が、
これから始まる二人の熱い夏夜をさまそうとしていた。。。