バイトの帰り道、僕はボーと運転していた。自宅が近づきはじめて昨日のようにタクヤさんが待ち伏せていたらどうしようと思い不安になる。兄の契約してる駐車場に車を停めることを思いつき、そのようにした。その駐車場にタクヤさんの姿があるわけもなく、少しほっとして家に向かって歩く。家の前に人影がある、まさかと思ったがタクヤさんであった。タクヤさんは僕を確認すると駆け寄ってきて、「待ってれば会えると思って」と言いながら僕の腕に触れる。その瞬間、僕は一瞬で震えと過呼吸に襲われ、苦しくてその場に座り込んだ。タクヤさんは「おい、どうした」と僕の顔をのぞき込みながら、少し僕を揺さぶった。体に全く力が入らない僕は、そのまま地面に倒れてしまう。タクヤさんは焦った感じで「大丈夫か?」と大きな声を出した。その声さえも僕は怖かった。偶然コンビニに向かおうとした姉が自宅から出てきて僕を発見した。すぐに両親に助けを求め大きな騒ぎになった。父親に担がれ両親の車で病院へと運ばれた。騒ぎの中でタクヤさんはいったいどうしていたのかわからない。病院で処置してもらい症状はすぐに改善した。母は困った笑顔で「大したことなくてよかった。過呼吸ですって」と語りかけた。病院からはすぐに帰ることができた。帰りの車中、姉と母の話の中でタクヤさんは「ただの通りすがりの男性」ということになっていて、それを聞いてタクヤさんのことを説明しなくて済むと思い安堵した。
次の日バイトは休みだった。家族から今日は安静に家で休むように言われ、自宅でなにも考えずに過ごした。昨日の病院から携帯電話の電源を入れずにいた。夕方ごろHが家を訪ねてきた。Hは涙目で「全然連絡とれないから心配したよ。でも何事もなかったみたいでよかった」と軽くため息をついた。まずは連絡をいれなかったことを謝罪し、一昨日と昨日の出来事を全てHに話した。
H「あいつ殺してやりたい。あんたの気丈に話してる姿見ると逆に痛いよ?たぶんあんた相当精神的にきてると思う。顔つきがおかしいし、もう見ていられない」と僕の手を強く握りながら言う。
その指摘に内心驚いた。でも言うとおりだと思った。僕はタクヤさんが与える痛みと向き合ったり、受け止めたりするよりも、その痛みさえ感じないふりをし続けることで自分を守っているところがあった。それで一時的にやり過ごすことはできても限界がある。現に僕の体はすでに悲鳴をあげ始めている。なにか行動しなければなにも変わらないと思った。すぐにタクヤさんへメールをする。
「もう僕ら無理だ。昨日見たように僕はあなたに触られるだけでああなってしまう。話し合ったりすることももうできない。このメールで終わりにしよう。それがお互いのためだし、なにより僕がもう限界だからお願い俺を解放して」との内容を送信後タクヤさんからの電話、メールを全て着信拒否にした。
家にいてはいつ会いにくるか分からないので、またKの家にしばらくお世話になる事にし、夏休み残り2週間過ごした。
夏休みが終わり、日常に戻っても、もうタクヤさんは僕の前に姿を現すことはなくなった。ただ、彼から受けた心の傷はその後長い間僕を苦しめた。彼の存在はなくなっても、僕は急に襲ってくる言いようのない不安にさいなまれ、震えと過呼吸を発作のように繰りかえした。僕が弱いのを棚に上げる気はないし、全てタクヤさんの責任と言うつもりもないが、その後僕の生活はしばらく荒れた。どう処理していいか分からない虚しさと寂しさを、リストカットや掲示板や発展場で一時誰かの温もりにふれることでうめた。出会いとかそういうものを求める気は少しもなくて、相手が真剣になったり、僕に思いやりを向け始めると怖くなり逃げた。そんな生活が2年弱続いた。この時には少しずつ自分の傷が癒え始めたのを自覚するようになった。震えと過呼吸が起こる頻度は減り始め、リストカットや性生活も落ち着いた。Hも「あんた出会った頃みたいな笑顔が戻ってきたよ」と嬉しそうに笑ってくれた。
続きます。